いざ、出勤!家興¥

〜act1:お父様、突然過ぎます!〜



世は不景気の真っ只中。
生き残りを賭けた企業と企業とが、熾烈な争いを繰り広げていた。
零細企業は中小企業の傘下になり、中小企業はまた大企業の傘下となる。
やがて、大企業同士の争いでも群を抜いた二大企業が現れた。
両企業は日々顧客を奪い合い、一触即発の状況にある。
そして、私の実家――御柳工業のように、力を持たぬ中小企業は、どちらの企業グループに入るか選択の時が迫っていた。



「急に呼び出してすまないな、。早速色々飛び越して頼みがある」
「は、はい」

寝椅子に横になった儘、お父様が私を見る。
お父様は先月、赤字を埋めようと道路工事のアルバイトに行き、慣れない力仕事でぎっくり腰になってしまった。
それからずっと寝込んでいる。

「これから二大企業は大きく動く。どちらかがどちらかを潰す、過酷な争いとなるだろう。今のうちに見極めて勝ちを選ばなければ、我が社の命運は…」
「我が社の命運…」

私は一人娘、お父様が寝た切りである以上、会社の事は私が背負うしか無い。
けれど、アルバイトさえした事の無い私に見極められるだろうか。

「見ての通り、今の私は一人でトイレにさえ行けぬからな…動けぬ私の代わりに、逞しい企業を見極めて来てくれ。もう手回しはしてある」

お父様が差し出したのは、沢山の社員証。

「潜入、せよと…?」
「直接内部事情を見なければ解らない事もある。裏金作りでもやっていたら後々が怖いからな」
「…解りました、頑張ります」

私がやるしかないのだ。
頷くと、お父様は嬉しそうに微笑む。

「それでこそ我が娘!だが、一人では流石に心配だからな。協力者を雇ってある。――小次郎」
「はっ」

お父様が呼ぶと、ドアが開いて青年が入って来た。
そう、青年。大企業に潜入すると云うのに、協力者がこんなに若くて大丈夫だろうか。

「彼は佐々木小次郎、全国に名を轟かせた企業アドバイザーだ。株を見る目は海外企業の筆頭株主をも唸らせる程だから安心しなさい」
「そうなのですか…」

そうは見えないが、本人の前で否定も出来ない。
曖昧に頷く私に、お父様はにっこりと笑い掛けた。

「さあ、行ってきてくれ」
「え…?まさか今から、」
「用意は俺がした。行くぞ」
「気を付けてな〜」
「ちょ、ちょっとお父様ーーっ!!!!」

私の心の準備時間は無いのですかっ、と文句を言う暇も無く、小次郎に引き摺られて出発する事になったのだった。



家を出て、二人てくてく歩く。
今の私はリクルートスーツに夜会巻きと云う慣れない姿になっている。
普段はふわふわしたワンピースばかりだったから新鮮だけれど、これから向かう先が大企業なだけに楽しい気持ちでも居られない。

ちらりと横の小次郎を見ると、緊張する様子も無く社員証の内容を確認していた。
本当に、この人が頼りになるのだろうか。

「…有名な企業アドバイザーなら、いっそ自分で社長になろうとは思わなかったんですか?」

どうにもその肩書きが信じられず、問いかけてみる。
小次郎はさらりと答えた。

「興味無いね。社長なんかより、俺はFXの道を極めたい」

株だったり為替だったり、企業に関わる事は本当に好きなようだ。
一瞬目が本気になっていたし、ポケットに差している算盤は飾りでは無いのだろう。

そんな会話をしながら、私達はT字路に辿り着いた。

「さて、左が織田商事、右が明智ファイナンスだ。どちらへ行く?」
「う、う〜ん…どちらもあまり知らないので、選べません…」
「じゃあ、近いから織田商事を先に見よう。この先のバス停から一本で行けるしな」

バスを待つ間、小次郎は織田商事について教えてくれた。

「まあ社名の通り、貿易に力を入れてるな。会長は織田信長…何と言うか、まあ如何にもなお坊ちゃん育ちだ。かなり強引な所があるらしいから気を付けないとな」

何も知らない私には有難い情報だ。

「社長は石田三成、先代会長からの信頼も厚い。無愛想だから打ち解けるまで情報は聞き出しにくいかも知れないな」

写メを見せられながら教えられる人々を、頭の中にメモして行く。

「後は異例の出世と言われた常務の小早川秀秋。これも一筋縄では行かない相手だが…表向きだけなら、一番付き合い易いかもな」

どうやら私が関わるのは殆どこの三人らしい。
どの人も、それぞれ困った所があるようだけど上手く行くのだろうか。

「まあ、俺は君の側を離れないようにするから。何かあったらすぐ言えよ」
「はい…有難う御座います」

『織田商事前行』と表示されたバスが走って来る。
中には社員の人も居る可能性が高いから、この話は此処までだ。
黙って乗り込み、空いて居た二人掛けの席に座る。

「お、ANNAの株価が変動してるな。JYALも動いたか…」

小次郎は座るなりノートパソコンを開いて航空会社の株価をチェックしている。
私には解らないので、ただ窓の外をぼんやりと眺めて時間を潰した。



「終点〜、終点、織田商事前です〜」

二十分程でバスは停留所に到着した。

「さて。行くか、と言いたいところだが…」
「何か?」
「会社での自己紹介を考えてなかったな」
「あ、そう言えば…」

お父様の手回しのお陰で社員に混ざって潜入は出来るが、この会社に来た経緯を聞かれたら答えられない。
小次郎は腕組みをして考えた後、ぽんと手を打って頷いた。

「君は経済学を学んでいる最中の大学生と云う事にしておこう。まだ企業の知識も無いし、転職じゃ無理があるからな」
「でも、学生がいきなり社員に混ざるなんて変じゃありませんか?」
「俺の後輩としておけば問題無いだろう。実際に現場の様子を見てみたいと俺に相談して、一緒に行く事になった。それで良い」
「はい…解りました」

小次郎には社員証が無いのに、顔パス出来るのだろうか。
最初は甘く見てしまって居たけれど、もしかしたら本当に凄いアドバイザーなのかも知れない。

「この機会に、経済の事を沢山学びたいと思います」
「良い心掛けだ。よし、行くぞ」
「はい!」

ガラス張りの高層ビル。
入るのを躊躇してしまいそうな立派なその建物を見上げ、私は決意して頷いた。
これからどんな出会いが待っているのか…
あまりに全てが突然過ぎて戸惑うけれど、私は必ず御柳工業を救ってみせる。

新しい世界へ足を踏み入れた、旅立ちの日。



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