いざ、出勤!家興¥

〜act2:潜入・織田商事!〜



一歩足を踏み入れると、空気が違うような気さえした。

「いらっしゃいませ。御用件を御伺い致します」
「あ、あの…」

受付の女の人は驚く程の美人、ただ喋るだけでも緊張してしまう。
口籠る私の後ろから、小次郎は怯む事無く身を乗り出す。

「佐々木小次郎と云う者だが、常務の小早川を呼んでくれるか」
「アポイントメントは御取りですか」
「無いが、言えば解る。小次郎が急用だと伝えてくれ」
「畏まりました」

内線が掛けられる。丁寧に用件を伝える女の人を見ながらぼうっとしていると、小次郎が小声で耳打ちした。

「良いか、さっき話した通り君は俺の後輩として紹介するからな」
「あ、はい…」
「秀秋とは顔見知りだ。其処から上に何とか話を通して貰うから、上手く合わせろよ」
「解りました」

待つ事数分、中央のエスカレーターに人影が見えた。
それは随分華奢で、可愛らしいと云う印象さえ与える男性。

「小次郎…久し振りな上に唐突だね。何の用?」
「急で悪いな、秀秋。俺の後輩が株式に興味を持ってるようだから、ちょっと研修させてやってくれないか」
「後輩…?」

鋭い眼光が向けられる。
慌てて姿勢を正し、頭を下げた。

「あ、あの、御柳と申します。小次郎は私の大学のOBで…」
「見込みがあるから修業させたいんだが。社員証は大学側から貰って居る」

口裏を合わせ頼むと、秀秋さんはへえ、と驚いた声を出す。

「君みたいな女の子が株式に興味を持つなんてね。僕で良かったら、力になるよ」
「有難うございます…!」

先程迄の鋭さは消え、優しく微笑み掛けてくれる彼に安心した。
小次郎は何処か苦い顔をして居るけれど、これなら上手くやって行けそうだ。

「じゃあとりあえず、社長や会長に話を通さないとね。ところで小次郎はどうするの?」
「俺もと一緒に暫く働かせて貰う。社員証は無いが、教授から頼まれているからな」
「まあ小次郎なら社員証くらいなくても何とでもなるよ。寧ろ織田商事としては有難い事かな」

秀秋さんの言葉に、やはり小次郎は凄い人物なのだと驚く。
一体お父様はどうやって彼を雇ったのだろう…と考えて居る間に、秀秋さんが内部へと案内してくれた。

「まずは社長に紹介しておかなきゃいけないから、社長室へ行くよ」
「は、はい…」

長い廊下を進む。
途中に飾ってある花瓶や絵画の調度品はどれも見た事が無いような素晴らしいもの。
流石貿易会社だけあって、珍しく綺麗なものが沢山ある。
つい我を忘れてきょろきょろしていると、小次郎に腕を小突かれてしまった。
いけないいけない、私は今社運を背負って此処に居るのだから、ぼんやりはしていられない。

気を引き締め直し歩く事暫く、秀秋さんは大きな扉の前で足を止めた。

「三成社長、入るよ」
「秀秋常務か?ああ、構わないが…」
「じゃあ失礼するね。ほら、入って」

促され、おずおずと室内に入る。
立派なデスクに書類の山、その中で埋もれそうな人が、此方を振り向いた。

「…誰だ、そちらの二人は」
「まあ、ちょっと待って。先に紹介しちゃうから。此方が三成社長、言うまでもなくうちの社長だよ」

この人が石田三成、織田商事社長…。
小次郎か聞いた通り、気難しそうな表情で眉間に皺を寄せて居る。

「それから、この二人は佐々木小次郎と御柳さん。小次郎は僕の、まあ嘗ての師で、さんはその後輩」
「秀秋常務の師…?」
「うん。昔家庭教師に来て貰っててね。嫌ってほど算盤の練習とかさせられたなあ」
「…で、その後輩と云うのは何の関係で此処に居るのだ」

まるで顔の筋肉が固まって居るかのように、全く表情を変えない三成さん。
上手くやって行ける自信が今から無いのだけれど…

「三成社長も小次郎の名前は知ってるでしょ。何処の企業も喉から手が出る程欲しいアドバイザーだよ?その後輩なんだから、此処で育ててあげればきっと良い社員になってくれるって」
「だが…素性も解らぬ者を招き入れるなど。産業スパイの類であったら…」
「こんな女の子に出来る訳無いよ。疑り深いなあ」

秀秋さんは笑ってくれたけれど、私は産業スパイと云う言葉に一瞬ぎくりとしてしまった。
恐らく些細な変化には気付かれなかっただろうけれど、平常心を保てるよう気を付けなければ。

「それにほら、社員証も大学から貰ってるんだよね?」
「あ、はい」

秀秋さんに言われ、お父様に貰った社員証を取り出す。
三成さんはそれを穴が空く程見詰めてから、渋々と言った感じで頷いた。

「まあ…この証書に怪しい所は無いな」

溜息を一つ、良いだろうと承諾の言葉をくれる。

「それで、配属はどうするのだ」
「あ、まだ決まって無かったね。さん、何処にする?」
「え……」

其処までは考えて居なかった。
言葉に詰まった私の代わりに、小次郎が対応をしてくれた。

「それより、まだ会長に話を通して居ないだろう。それが先じゃないか?」
「ああ、そうだね。でも信長会長ってあんまり本社に居ないからな…」
「一応俺が連絡してみよう」

三成さんが携帯を手に取る。
これで会えたら話が早く進んで助かるけれど、こんな大きな会社の会長に会うなんて緊張してしまう。
指先が冷たくなって行くのを感じながら待って居る間に、通話は終わったらしい。

「今から此方に向かわれるそうだ。恐らく数分で来られるだろう」
「そっか。良かったね、さん。信長会長って下手すると何日も捕まらないから大変なんだよ」
「そうなのですか…」

会長と云うのはそもそもそれ程会社に居るものでは無いが、何日も捕まらないと云うのは問題では無いだろうか。
もし会社に何かあった時はどうするのだろう。
危機感が無いのか、それとも余程自社に自信がおありなのか。

「真っ直ぐ社長室に来られるそうだから、少し此処で待って居ろ」
「は、はい」
「じゃあ御茶でも淹れて貰おうか。あ、ちょっと君、御茶五つね。一つは会長の」
「畏まりました」

近くに居た女子社員が笑顔で給湯室に向かう。
わざわざ御茶を淹れて貰うのは申し訳ないけれど、まだ内部の事を何も知らない私では役目を代わる事も出来ない。

「すみません、秀秋さん」
「良いよ。信長会長の分はどうせ淹れなきゃ怒られるから、ついでだし。気にしないで、その辺座ってて」

ふかふかのソファーに座っても落ち着かない。
私のお父様も一応社長ではあるし、私も社長令嬢なのだけれど…御柳工業とは何もかもが違い過ぎる。
これが、天下を取る会社の内部なのかと思い知らされた。
会社がこれだけ立派な造りなのだから、社長や会長の御自宅は一体どんな事になって居るのだろう。
門付きの一軒家か、はたまた瀟洒なマンションか。

「ん…?」

あれこれ考えて居ると、廊下の向こうから騒がしい足音が響いて来た。

「ああ、信長会長かな。思ったより早いね」
「廊下は走らないで下さいと何度も言って居るのだがな…」

秀秋さんと三成さんの呟きで、これから訪れる人物の予想が付く。

「い、いよいよ…会長との御対面、なのですね」
「君なら大丈夫さ。堂々と挨拶すれば良い」

小次郎が励ましてくれるけれど、冷や汗が流れるのを止める事が出来ない。
震えそうな膝の上の掌をきゅっと握り締め、ただ扉が開くのを待った。



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