いざ、出勤!家興¥
〜act3:緊急オリエンテーション!〜
ばたん、と勢い良く…と云うか乱暴に扉を押し開け、男性が飛び込んで来た。
「三成!来てやったぞ!」
「信長会長…ドアが壊れそうです。もう少し御静かに」
「それよりも、新入社員とやらは何処だ?」
「こっちです、信長会長」
秀秋さんが立ち上がり、私も慌てて続く。
小次郎は一人のんびりと立ち上がった。
彼は偉い人の前でも全く緊張しないようだ。
「こちらさんと小次郎、小次郎の名は信長会長も御存じですよね」
「あ、御柳と申します…宜しくお願い致します」
紹介されて頭を下げるが、小次郎は会釈程度だ。
カリスマと言われる信長会長を前に余裕で居られる心が羨ましい。
「我が会長の信長だ。小次郎の名は聞いた事があるが、」
「は、はい」
「お前は何が得意なのだ?」
「え、そ、その…」
私がまだ学生と云う事や会社に来た経緯は、先程三成さんが電話で話してくれた筈だ。
得意な事と言われても、知識も経験もある訳が無い。
「何か適当に答えておけ」
小次郎が耳打ちしてくる。
そう、これが普通の企業面接なら何でも良いから答えなければならない。
自分の長所や得意な事がすぐに答えられない人は採用しないと、以前お父様も言っていた。
何でも良いから…ああ、でも、一体何だろうか。
「その、私は……い、囲碁が得意ですっ」
駄目だ、全然関係の無い事を答えてしまった。
お父様の事を思い出したら、よくお相手していた囲碁の事しか浮かばなくなって、そのまま口にしてしまっていた。
「囲碁だと?」
信長さんの目が鋭くなる。
どうしよう、何か上手い事を言わなければ。
「そ、その、教授に言われたのです。囲碁は先を見据え石を動かすもの、また相手の心を読む必要があるものだから、必ず企業で役立つと」
実際お父様はそう言って居た。
人の上に立ち会社を経営する人間は、碁でそのノウハウを学ぶのが一番だと。
少々無理な言い訳かも知れないが、他に得意な事も無いのだから今はこれしかない。
信長さんの刺すような視線が痛いけれど、じっと堪えて平常心の振りを通す。
「平社員が、人心掌握の手段を考えて動くか。面白い。見込みがあるな」
やがて信長さんは、そう言って笑った。
「我も囲碁は強いぞ?今度対局するか」
「は、はい。御願致します」
どうやらこの場は切り抜けられたらしい。
ほっとして周りを見ると、皆も一様に安堵の表情を浮かべて居た。
社内の人間も緊張して見守ると云う事は、やはり信長さんはそれだけ怖い存在なのだろう。
感情的で我が強いところもあると聞いて居るから、もしかして先程の答えが気に入らなければ其処でクビだったのかも知れない。
「失礼致します、お茶を御持ちしました」
丁度女子社員の人がお茶を持って来てくれた事もあり、其処からは少し和やかな空気が流れる。
よく見ると、信長さんの湯呑だけ専用のものだ。流石会長といった感じがする。
「ところで信長会長、この娘の配属先が未定なのですが」
三成さんがそう切り出すと、秀秋さんも思い出したように頷いた。
「そうそう、色々学びたいみたいだし、何処が一番良いかなって考えてたんですが」
「深く考えるまでもない。あれこれ学びたいのなら、一カ所に決めねば良いであろう」
信長さんはさらりと言うけれど、会社の中で配属を決めずうろうろされては皆迷惑だろう。
きっと、立ち入り禁止の場所もある筈だ。
三成さんが酷く渋い顔をしているところからも、それでは困るのだと解る。
「あ、あの、それは有難いのですが、あまりに幅広過ぎては結局広く浅くなってしまいますし…」
「俺もそう思う。大体、の事を全員に一々説明するのも面倒だしな」
私と小次郎とが意見すると、三成さんはよく言ったとばかりに頷く。
本当は隠そうとしている内部の事も知りたいけれど、此処で強引に知りたがっては疑われてしまうだろう。
三成さんの幾らか険しさの消えた顔を見て居ると、一旦引いた方が良かったのだと思える。
ちらりと小次郎の方を見ると同じ考えだったらしく、微かに頷いてくれた。
「それも一理あるな」
信長さんは腕組みをして少し考え、すぐに満足気に顔を上げた。
「ならばこれで良いであろう。日替わりで、我等三人の誰かと仕事をすれば良い」
「日替わりで…?」
「他企業との会議などが入って居る事もあるからな。社内だけの用事しか無い者が一日の教師代わりになるのだ。どうだ?」
「それ良いですね。三成社長は?」
「まあ…それなら、面倒を見ても良いかも知れません」
「ならばこれで決まりだな」
それから三人は各自の手帳を開き、スケジュールを確認してくれた。
もし急な用事が入れば誰かが代わりを務める事になるが、多分大きく動く事は無いとの事だった。
どうにか身の置き場が決まりほっとしていると、スケジュール合わせの終わった信長さんがまた何か考え込んで居る。
「この我がわざわざ会社まで来たのだ。これで終わりと云うのも詰まらんな…よし、付いて来い!」
「え、あ、あの、どちらへ…?」
「三成、坊っちゃんと小次郎もだ、行くぞ!」
「え、信長会長待って下さいよー」
「信長会長、御待ち下さい!」
「…やれやれ」
ばたばたと向かった先は、給湯室。
色んなお茶やカップが綺麗に整頓されて並んでいる。
「良いか、。我の茶はこれ、急須も我専用だ。間違えるでないぞ」
「はい、解りました」
どうやら、私に社内の案内をしてくれるようだ。
「僕は何でも良いから気にしないでね。三成社長は、種類より温度に煩いよ」
「そうなのですか?」
「ああ…確かに、あまり温い茶では飲んだ気がしないな」
「解りました、気を付けて用意しますね」
皆さんにお世話になる間、私はきっと仕事の助手としては何の役にも立てないだろうから、雑用くらいきちんとしなければ。
胸ポケットからペンを取り出し、素早くメモしておく。
「では次だ、行くぞ」
「あ、はい今行きます」
そうしてロッカーや仮眠室、消火器の場所や非常ベルの場所などを教えて貰いながら、最後に辿り着いたのは。
「此処が社員食堂だ。下手なレストランより品揃えは良いぞ」
「凄い…なんて豪な……」
呆然と立ち尽くしてしまうほど、広くて綺麗な社員食堂。
本当に、その辺のレストランでは扱っていないような民族料理なども豊富に揃えてある。
「我は新しいものは何でも試したい。そして、それを取り入れこの国を豊かにしたいのだ」
「素敵なお考えですね」
低迷している日本経済を救うのは、こういうバイタリティーの溢れる方なのだと思える。
まだ明智コーポーレーションは見て居ないから判断は出来ないけれど…
織田商事は、確かに大企業に相応しい活力を持って居ると感じた。
「よし、では好きなものを頼んで良いぞ!三成達の分も、今日は我の奢りだ!」
「え…、でも」
「良いんですか?ごちそうさまです!ほら、さんも選びに行こうよ」
秀秋さんが腕を引いてくれる。
「では、御言葉に甘えて…」
「そうだ。我が良いと言うのだから、好きに選んで来い」
「じゃあ俺も遠慮なく頂くとするか」
「俺も頂きます、会長」
時刻は丁度夕飯時。
もしかして信長さんが突然オリエンテーションに連れ出してくれたのは、しかも皆さん全員で来たのは、最後に食堂に来ようと思って居たから?
「、疲れたか?」
「小次郎…はい、少し緊張疲れしましたけど、でも楽しいです」
事前に聞いて居た情報では、どの人ももっと気難しい感じかと思って居たけれど。
実際に接してみたら、多少戸惑う所はあっても皆とても心根の優しい方ばかりだった。
「君は前向きだな。良い事だ。企業というものは、人と人の繋がりで出来てる。壁を作らずに付き合って行けば、きっと沢山の事が学べるさ」
「はい、頑張ります」
「ねえ二人とも、メニュー決まった?みんなで頂きますしようって」
「ああ、今行く」
最初は本当に不安ばかりだったけれど、飛び込んでみた世界は思ったよりも怖いところでは無かった。
それに、私には小次郎もついていてくれる。
恐れて立ち止まるより、見えない一歩でも踏み出そう。
小次郎の言う通り、人と人のコミュニケーションが大きなものを築く場所なのだから。
「さん、こっちこっち。ここ座ってね」
「すみません、お待たせしました」
「皆揃ったな。では、いただきます」
五人揃って頂きますと言えば、もう家族のように打ち解けて過ごす事が出来た。
これならきっと、明日からの仕事も頑張って行ける。
美味しい夕飯を頂きながら、私の心はこれからのお仕事への期待で弾んで居た。
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