仇花
貴方の好きな花が咲く季節が来ました。
そちらからでも、見えて居ますか?
「光秀様…」
私を愛する事が出来て幸せだと、仰って下さいましたね。
だから、哀しい事は何も無いと。
私も幸せになれと。
「それはね、無理な事なのですよ」
私の幸せは、貴方を愛する事でした。
貴方無しでは成立しない幸せなのです。
「…?何をしてるんだ」
「小次郎」
小次郎は私が今にも貴方の後を追いそうだからと、ずっとこの国に残ってくれました。
もう随分月日が経つのに、未だに私が一人で居ると不安そうにして居ます。
「ほら、桔梗が。とても綺麗に咲いていたので」
「……未だ、光秀さんの事を」
「私は、大丈夫ですよ。もう、ちゃんと解って居ますから」
どんなに同じ毎日を繰り返しても、貴方が其処に居ない事は。
「だが今日は…」
「確かに今日は特別な日です。でも、死んだりしませんから安心して下さい」
ね?と笑っても、小次郎は余計に心配そうに眉を寄せて。
私はそんなに危なっかしく見えるのでしょうか?
自分ではもう、随分強くなったと思って居ます。
「今日が光秀様の御命日でも…もう後を追おうなどとは、考えません」
貴方は私の心の中に生きて居ると知りました。
二人で過ごした時間は、ちゃんと其処にあると知りました。
「…なら、良いんだが…気持ちの整理が付いた様には見えないからな」
「以前は勝手に先に逝ってしまわれた、と恨んだりもしましたね」
今はそんな事思って居ませんよ?
何も言わずに私を突き放した、貴方の方がどれだけ苦しかったか解るから。
貴方の優しさに気付けず、我儘を言って余計に苦しめてしまいましたね。
それでも貴方は、私を守る為、辛い胸の内を決して露にせず、涙も見せず。
人が人として気高く生きる事、人を愛する事、喜びと悲しみとを、全て教えて頂きました。
「今あるのは…溢れそうな感謝だけです」
あの時の私は幼過ぎて、貴方を恨む事くらいでしか張り裂けそうな苦しみをどうしようも出来無かったのです。
貴方は深く、深く私を愛して下さって居たのに。
ああでも、その事に気付けば気付くだけ、感謝を強く感じれば感じるだけ、
私の心は貴方への想いも溢れてしまって。
「、」
「すみま、せん…大丈夫、ですから」
ぽたり、桔梗の上に落ちる雫。
この花が貴方なら、私の涙を糧に美しく咲き続けてくれるでしょうか。
私の身体が土へ還り、貴方の隣で咲き誇る日が来るまで。
待って居て下さるでしょうか?
「もう、屋敷に戻ろう」
「いいえ、あと少しだけ」
「だが……」
「大丈夫ですよ。私は、悲しい訳では無いのです」
ただ貴方への想いが溢れて、止まらないだけなのです。
貴方が守って下さった命を無駄には決して致しません。
いずれ命が巡るその日まで待つ覚悟は出来て居ます。
その時はきっとまた出会えると信じて居るから。
「でも…、悲しい訳でも死にたい訳でもありません、でも、ただ、」
貴方が好きだった花を一人で見るのが辛いのです。
貴方が居た筈の場所に誰も居ないのが辛いのです。
貴方の居ない朝を明日も明後日も迎えるのが辛いのです。
貴方をどんなに思い描いても手が届かないのが辛いのです。
貴方に、ただ、もう一度。
「…貴方に、会いたいのです」
貴方に会いたい。
あの瞳、声、笑顔に、もう一度だけで良いから。
「光秀様、もう一度、会いたい……」
強く生きるべきなのは解って居ます。
私には父上と母上と、この国を守る義務があります。
よく解って居ます、でも、ただ、会いたいだけなのです。
「光秀様…」
私の涙で濡れた桔梗が、微笑む様に揺れたのは。
気の所為かも知れないけれど、その優しい佇まいに貴方が重なって。
「貴方に、会いたい、です……」
今だけ、沢山泣いてしまう事を赦して下さい。
大丈夫また明日から頑張るから、今だけは。
貴方の好きな花が咲いています。
そちらからでも、見えて居ますか?
もし見えたなら、その隣で泣く私にも目を向けて下さい。
そして夢でも幻でも良いから、どうかもう一度だけ。
『、おいで』
あの優しい声で私を呼んで、あの暖かい腕で抱き締めて下さい。
了
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