常緑




僕は自分に素直に、友を裏切らず西軍として戦って勝利を掴んだ。
それは間違ってなかったと思ってる。
でも…、東軍側から見れば、僕が寝返らなかったから負けたって事になる訳で。

「秀秋様、今朝こんなものが投げ込まれて居りました」
「また?もう…面倒臭いなあ」

君と結婚して三ヶ月、漸く全てが落ち着いたかと思えた頃。
屋敷には連日、東軍の残党による脅迫めいた文が届いて居た。
そのゴタゴタが知れた所為か、また屋敷の中や西軍内部から、僕の言動が冷たいだの読めないだのと云う声がちらほら上がる事もあった。
やっと平和になったと思ったのに…また面倒事なんて、とうんざりして居たんだ。
それに苛立って居たから、些細な事できつい物言いをするようになって居て。

「秀秋様、また、ですか…?」
「ああ、うん。まあしょうがないよね」

心配してくれている君にさえ、馬鹿な事を言ってしまうくらい。

「僕はどっちに付いたって結局裏切り者って呼ばれるんだよ。こんな性格だからさ」
「そんな…、秀秋様は本当は優しい御方なのに…」
「曖昧に飾った言葉なんて要らない。皆が僕を裏切り者だって言うなら、それが真実なんでしょ」
「秀秋様、私は…」
「もう良いからほっといて。君がどう思ってたって他の沢山の意見が変わる訳じゃないし、下手な慰めなんて鬱陶しいだけだから」
「秀秋様……」

ただ、苛々して居たから。
少し一人で落ち着いて考えたかった。
君のくれる優しささえも素直に受け止められないくらい、昔の悪い癖が出て居たんだ。
よく考えてみればすぐに解った事だった。
周りの誰が何と言ったって、君が認めてくれるならそれで良いって事に。
でも多分この時は…君の真摯な言葉さえ疑わずにはいれないくらいに、僕の心は均衡を失って居た。

長い間、大切に想っても裏切られると思って来た。
だから誰の事も大切に想わないように、壁を作って自分を守って来たけれど。
君と出会ってからは変わったつもりだったんだ。
慣れないながらに仕えてくれる皆には感謝を伝えたつもりだし、西軍内での人間関係だって精一杯築き直そうとした。
出来る限り頑張ってたつもりだったから。
またあれこれ言われるようになって、結局僕の立ち位置って何だろうと嫌になってしまった。
何をしたって結局無駄でしかなくて、一度ついた悪評は覆せなくて、僕と云う人間を必要としてくれる人なんて居ない。
君だって本当に僕を全部受け入れてくれてるんだろうか?本当は不満を堪えて笑顔を見せてるんじゃないだろうか?
そんな風に思ってもう嫌だ、って投げ出したくなって。

「…泣かせちゃった、だろうな」

凄く悲しそうな顔で出て行った君が心配になる。
でも何をしたら良いのか解らない。
僕が何かしても裏目に出そうだから。僕が何か言っても余計に傷付けてしまいそうだから。
君を大切に想う前ならどうでも良かった事。
今は、不用意に君を傷付けてしまう事が怖い。
それと同じだけ、自分が嫌われてしまう事も怖くて。
空回ってどんどん嫌われてしまうくらいなら、距離を置いて何もしないで居たい。
悪印象を消して挽回する事は出来無くても、ただこれ以上嫌われないならそれで良い。

「やっぱり僕には難しいよ」

ごちゃごちゃ考えたり曖昧な言葉を作ろうとしなくたって、答えは簡単なのに。
君が好きだよ、って云うのと、僕を嫌わないでね、って云うのだけが言えれば良いだけ。
それだけの事を、実際に伝えようとすると遠回りしてしまう。
適当な綺麗事なんて自分自身一番嫌いな事なのに、素直に想いを伝えるのって本当に難しい。
解らなくて…もう、考えるのをやめる事にした。

「秀秋様、此方の案件なのですが」
「あ、それね、ちょっと変更して欲しい所があるんだけど。ほら、ここのとこ…」

丁度仕事も忙しいから、と言い訳をして。
ただ単に逃げてるだけと解って居ても、もう疲れて居たから。
後で落ち着いたら、様子を見て謝ろうと思って居た。



思って居た、けれど。

「先日の変更点が纏まりまして、只今こういった形に…」
「…はぁ……」
「秀秋様?お加減でも優れませんか?」
「あ、ううん。何でもないよ。続けて」

数日経っても、君と顔を合わせる機会は無かった。
夫婦なのに機会が無いと云うのはおかしい。
どちらかが積極的に会おうとすれば絶対に会える。
僕は負い目があって自分からは探そうとして居なかったけれど、普段なら大体君が会いに来てくれるのに…
これだけ顔を見ないとなると、本格的に怒らせてしまったのだろうか。
不安になるくらいなら自分から謝りに行けば良いのに、それも出来ない自分がつくづく嫌になる。
長年人との付き合い方を表面的にだけしてきたから、本心を晒してぶつかる事にどうにも慣れられない。
やってみなきゃ解らない事も沢山あるけど…大切に想えば想うだけ、本音で向き合って駄目だったら、と云う恐怖が強くなる。
このままで居たって関係が修復できる訳も無いのに。
寧ろ放って置く時間が長ければ長いだけ、どんどん悪化して行くだろう。
そうして本当に嫌われてしまったら…、焦りばかりが募る。

「――秀秋様、失礼致します!」
「ん、何?」
「なんだ、騒々しい」

突然、中堅の家臣がバタバタと飛び込んで来た。
側に居た古くからの家臣が眉を顰めるのも気にせず、真っ直ぐに僕の方へ駆け寄って来る。

「東軍の残党共、あの妙な文を投げ込んで来て居た連中の捕獲に成功致しました!」
「え…、ほんとに?」
「はい!」

彼はとても嬉しそうに報告書を読み上げた。

「奴等は単なる浪士の集団で、背後に大物も居りません。自白を得られたので仲間も全員確保、これでもう心配はありません」
「そう…よくやってくれたね」
「いえいえ、これは全て華様の御手柄です」
「…華さんの?どういう事?」
「おや、御存知ありませんでしたか?」

訳が解らず聞くと、家臣の方もきょとんとした表情をした。
夫婦ならそれくらいの会話、あって当たり前と思われただろうか。
少し気不味いのを隠して、とにかく教えて、と素っ気なく畳み掛けた。

「先日、華様が私の元にいらして。東軍の残党を片付けるに効率の良い方法は、侍女達の協力を得る事ではないかと仰ったのです」

彼には東軍残党掃討の役目を任せてある。
それは城の者なら皆が知って居る事だ。

「侍女達の噂話と云うのは眉唾の事もありますが、時に忍よりも情報を集めて来ますからな」
「それを利用しよう、って?」
「はい。我々では女子の会話に介入できませんが、華様は奥方とはいえ一人の女子。きっと上手く出来る筈だと自ら提案されたのです」
「成程ね…」

役職のあるいかめしい男達には、侍女も委縮してただの噂話など出来ないだろう。
けれど真実とは意外とそういう下らない話の陰に隠れているもの。
其処から残党共の居場所を突き止めようとするなんて…流石、女子ならではの考え方と言えるだろう。

「ここ数日華様は秀秋様の平穏を守る為にと、噂を集めにあちこち奔走されて居たのですよ」

彼はにっこりと笑って、その報告書を僕に…ではなく、何故か隣の家臣へと差し出した。

「勿論、私も秀秋様の平穏な日々をお守りしたい一員です。漸く残党が片付いた所で、久し振りに華様とゆっくりしていらして下さい」

後の事は私共でやっておきますから、ね?と片目を瞑られて、僕は苦笑混じりに立ち上がるしかなかった。
焦ってばかりで動けなかった背中を押されてしまったら、もう動いてみるしかない。
僕の苦笑は、そんな気持ちを読まれて居たのかな、と云う照れ隠しと。

「…ありがと、ね」

こんな僕の事を心配して、気にしてくれている人がちゃんと居るんだって事に気付けた嬉しさから。
僕がどんなにぐずぐずして落ち込んで居ても、支えてくれる人は居るんだ。
君のお陰で変われた、そうやって新しい自分で頑張った日々が無駄じゃなかったと思える。
僕が明るく心を開いた分だけ、皆も頑張って返してくれてるんだから。

こんな風に感謝したり喜びを感じられるようになったのは、全部君のお陰。
早く君にお礼を言いたくて、まずはきちんと謝りたくて、長い廊下を殆ど走る様に急いで君の姿を探した。

「華さん…」

早く会いたい。
会って抱き締めて、この偽り無い気持ちを伝えたいんだ。
普段は中々言えないありがとうの言葉を、今ならきちんと届けられる気がするから。

「――あ、」

そう考えながら走っていたら、廊下の角から曲がって来た人に気付くのが遅れた。

「――えっ?」

止まらなきゃ、と思った時にはもう逸る心の儘に足が先に出てしまって居て、

「うわっ…」
「きゃあっ」

どしん、と思い切りぶつかってしまった。
突撃した僕の方は大丈夫だけれど、突然ぶつかられた侍女はぺたりと座り込んでしまっている。

「ごめん、大丈夫?」
「はい、平気です…あ、」

慌てて手を差し伸べて助け起こした侍女は、僕を見て驚いた顔をした。
僕も、きっと同じ顔をしただろう。

「秀秋様…」
「華さん…!?」

早く会いたいと思って探して居たけれど、自分が転ばせた侍女がまさか君だなんて、状況が不思議で唖然としてしまう。

「な、なんでそんな恰好…」

そう言い掛けて気付いた。
さっき家臣から聞いた通りの事なのだろう、君は侍女に混ざり噂を集めてくれていた。
だから今も、そんな姿で働いて居たに違いない。

「…僕の所為で、無理させちゃったんだね」
「え…、御存知、なのですか…?」
「うん、聞いたんだ。君が、僕の為に頑張ってくれたこと…」

助け起こした手をそのまま握ると、その指先は少し荒れていた。
元々頑張り屋な君の事だから、きっと噂話を聞きながら沢山仕事を請け負ったんだろう。
其処まで僕を想ってくれたなんて、嬉しさと申し訳無さが同時に湧き上がって掛ける言葉が見付けられない。
僕が口籠っているうちに、君は先に口を開いた。

「…ごめんなさい、秀秋様」
「どうして謝るの?」

僕が謝らなければならない事はあるけれど、君が謝るべき事なんて一つも無い。
驚いて訊ねると、君は俯いて呟いた。

「ご相談もせずに、勝手な真似をしてしまいました」
「華さん…」

ああ、どうして君はそんなに何時でも僕の事ばかり考えてくれているんだろう。
僕は自分勝手に八つ当たりして君を傷付けたのに。
何処までも深く広いその愛情が、僕の見栄っ張りな心を溶かして行く。

「華さんは何も悪くないよ。僕こそ…辛い想いをさせて、本当にごめんね」

握った手を引き寄せて、そのままぎゅっと抱き締める。
喉の奥で支えていた言葉は、するすると形になって。

「それから…こんな僕を愛してくれて、本当にありがとう」

ごめんねとありがとう。
君への謝罪や感謝の気持ちは、こんな一言だけじゃとても足りないけれど。
飾った言葉なんて嘘臭いだけになりそうだから、素直な想いをそのまま届けるよ。
人は口先だけなら何とでも言える。ごてごてした言葉を用意すればそれだけ本心は隠れてしまう。
短くて単純な言葉だからこそ想いを沢山籠められる、僕はそんな気がするんだ。

「秀秋様……」

まっすぐな視線。
昔はそれがくすぐったくてすぐに目を逸らしてしまっていたけれど、今ならきちんと向き合える。
君の瞳は何時だって真剣な気持ちを伝えてくれているから。
僕もちゃんと、この目に愛情を映せているかな?

「怒って、いないのですか?」
「当たり前でしょ。寧ろ、僕が怒られる方だよ」
「そんな…私は、秀秋様が御元気になられて、笑顔で居られるならそれだけで幸せです。怒るなんて、そんな事ある訳がありません」
「じゃあ、今は二人とも幸せだね。僕は君のお陰で笑顔になれた。君が僕の笑顔で幸せになってくれるなら、完璧な関係だよ」
「…ふふ、そうですね」

ね?と笑い掛ければ、君はやっと何時もの笑顔を浮かべてくれた。
ほんの数日見ていなかっただけなのに、凄く久し振りに見た気がする。
君の優しい微笑みは僕をあたたかく包み込んで、この廊下の向こうにはらはら降り出した雪の寒さすら感じさせない。
何時だってそうやって僕の事を愛してくれていたんだね。
まるで寒い冬の中、白一色に閉ざされる世界の中でも変わらぬ常緑の梢のように。
僕がどんなに辛い時でも、君は周囲に染められずただ優しさだけを与えてくれていたんだ。

「では、着替えて来ますね。噂集めももう終わりましたし、あまりこの姿で居ると皆が混乱してしまいますから」
「あ、ちょっと待って」

身体を離し掛けた君を、両腕でぎゅうっと閉じ込める。

「もうひとつ、大事なことを伝えておかないと」

ごめんねは一種類だけど、ありがとうにはもうひとつ意味があるから。
愛してくれてありがとうを伝えたなら、これもちゃんと伝えないといけないよね。

「君を愛させてくれて、本当にありがとう」
「ひ、秀秋様…っ」

君の耳に唇を寄せて囁くと、見る見る内にその頬は真っ赤に染まって行く。
その姿があまりに可愛らしくていとおしくて、

「本当に本当に…世界中の何よりもいちばん愛してるよ、華さん」

思わず此処が廊下だと云う事も忘れて口付けをしてしまったから、僕はきっと後で君に怒られる事になるだろう。
それでも僕はきっと喜ぶんだ。
だって何より愛してる君のくれる感情なら、どんなものだって幸せの形しかしていないからね。
















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