手を繋ごう
このところの殿には困ったものだ。
客人が滞在して居るのを良い事に、何時にも増して城を抜け出される。
今日こそは、大人しくして頂かなければ。
「殿、本日は絶対にいけませんぞ!」
「顔を見るなり何の事だ、小十郎」
「外出の事に決まって居るでしょう。もう何日も溜め込んだ執務が、ほらこんなに」
眉を吊り上げて書簡を突き出せば、殿はやれやれと肩を竦める。
「だからと言って客人を退屈させる訳にはいかんだろう。それにもう今日は約束してあるしな」
「殿が日頃から真面目に執務をこなされないから悪いのです」
「約束を破るのは信用問題だろう。…そうだな、ならお前が代わりに行ってくれるか?」
「…そうやって、私が居ない隙にさぼる気ですね」
その手には乗らない。
私が目を離せば、絶対に逃げ出してしまわれるに違いない。
普段はさぼりながらもまだある程度仕事をして下さる殿だが、最近はとにかく酷い。
小次郎と鍛錬と言って逃げたり、姫の為に云々と言っては逃げたり。
内政を預かる者として、もう良い加減見過ごせない程のさぼりようだ。
これはそろそろきっちりして貰わねば、殿の評判にも関わる。
「違う違う、ともかく約束した分だけはどうにかせねばならんからな。お前が行かないなら俺が行くしか」
「…解りました、そうまで仰るなら私が参りましょう。但し」
何が何でも、今日は執務をこなして頂く。
その思いから、私は無謀な役目を買って出たのだった。
「私の代わりに、小次郎に残って貰います」
多少いけすかない所のある相手ではあるが、見張りとなればしっかりやってくれそうだ。
何より殿を甘やかさない所に関しては、私と互角…下手をすれば上かも知れない。
「な、小次郎を、だと?」
「護衛代わりにもなりますから。では、行って参ります。私が戻るまでに、全て片付けて置いて下さいね」
やはり逃げ出すつもりだったのか、小次郎が見張りと聞いてげんなりした顔をする殿を残し、私はすたすたと室を後にした。
こうして勢いで引き受けたのは良いものの。
「宜しくお願い致します、小十郎様」
姫君と二人で出掛けると云うのは、中々難しいものだった。
「何処か、行きたい所はありますか?」
「いえ…、私はまだ、この国の事を良く存じ上げませんし」
「そう、ですな…」
若い娘が好む場所や店と言ったものが、私にはまるで解らない。
殿が遊び回るのを追い掛けて街には何度も出て居るが、それがどういった所だったかまでは記憶していないのだ。
「殿とはどういう所に行かれるのですか?」
「ええと…流行りの御店や、芝居などを見せて頂きました」
「そうですか」
「はい」
困った。
殿の世話役として城の事ばかりの私には、そういう事は何も解らない。
まず何よりも、会話が長続きしない。
傍目から見て居ると、姫は殿と話して居てよく笑って居る。
何時でも楽しそうにしているけれど、私にはそんな話術も無い。
「…とりあえず、少し街中を散歩しましょうか」
「はい」
当ても無く歩き出しても、殆どは無言だ。
姫の好きそうなものが解らない私は何かを勧める事も出来ない。
姫も姫で私に遠慮があるのか、時折足を止め掛けてもすぐに何でも無いですと言ってついて来る。
「………」
「………」
これは気不味い。
やはり私などが殿の代わりをするなど無理であったのかも知れない。
焦れば焦る程、余計に何を離したら良いか解らなくなって、ただひたすら歩き続けた。
「…あの、小十郎様」
そうして暫く、姫が突然立ち止まった。
「は、はい。何ですかな」
「その、少し…休憩しても、宜しいでしょうか」
「これは気がつかず…!あの茶屋で休みましょう」
ああ、駄目だ。
姫君をただ黙々と歩かせ続けるなど、疲れさせてしまうに決まって居る。
慌てて茶屋に入り座っても、気の利かない自分が情けなく掛ける言葉も見当たらない。
結局何も言えず、また黙って茶を啜る事暫く。
「…小十郎様、その、すみません」
姫が、そう切り出した。
「な、何がですか?」
「無理に付き合って頂いてしまって…御忙しいのに、大変でしょう」
「そんな事はありません、その、私は…」
客人に気を遣わせるなど、私は接待役として全く失格だと思う。
けれど、そんな風に気にしてくれる姫はとても可愛らしく、何故か胸が温まるような気持ちになった。
「…寧ろ、息抜きが出来て有難いくらいです」
普段は殿の我儘に振り回されてばかりですからな、と付け加えると、姫は今日初めて見る素直な笑顔で笑ってくれた。
何故だろう、そういう仕草の一つ一つがとてもくすぐったい感情を運んで来る。
「それなら良かったです。普段から御忙しい小十郎様を余計に疲れさせてしまっているのでは、と心配でしたから…」
こんな私の事を気遣ってくれた、なんて。
殿より楽しませてあげる事も出来ない、気の利かない私などを心配してくれた、なんて。
嬉しい様な、照れ臭い様な、不思議な感覚になる。
そしてその感覚は、中々に気分の良いもので。
「私はまだまだ元気ですぞ!この茶を飲んだら、良い場所に御案内しましょう」
「良い場所?楽しみです」
「若い姫君には詰まらないかも知れませんが…私がとても気に入って居る、絶景の場所です」
「まあ、それは素敵ですね。是非拝見したいです」
姫が笑ってくれると、益々その感じは強くなる。
まだよく解らないけれど、何故か無性に手を繋ぎたくなるような、触れ合いたくなる甘い熱が沸き上がる。
「其処は珍しい草花の咲く場所でして。実は殿にも内緒の場所なのです」
「私は野山育ちですから、草花は大好きです。政宗様にも内緒なんて、特別な感じがしますね」
それから暫く、他愛の無い話をして。
少しだけ、姫に先程迄よりも近付けたような気がした。
やはり私ではあまり上手く話が出来ないけれど、今度は沈黙が訪れても苦では無くて。
ただ穏やかな時間を楽しんで過ごす事が出来た。
「…では、そろそろ参りましょうか」
「はい、宜しくお願い致します」
立ち上がる時、差し伸べ掛けた手は中途半端に隠してしまったけれど。
殿ならきっとさり気無く手を貸して居たのかと思うと、少し悔しい。
「此方です。少し遠いのですが…」
「大丈夫です、絶景の為なら頑張ります」
でも、こんな私にも、姫は素直な笑顔を見せてくれるから。
もしまた赦されるなら、私が貴女の案内役を務めても良いでしょうか?
そしてその時には、手を繋ごう、と。
自然に言えるように、沢山練習をしておきますから。
(姫、手を繋いでも良いですか?…いや、違うな…手を繋いで下さい。手を、繋ぎませんか?ううむ……)
(くくっ…はっはっは!!小十郎、何を一人でやって居るのだ!可笑しくてかなわん!!)
(と、殿!?盗み見とは卑怯な!!)
(ああ良いものを見た!どれ、早速言い触らして来よう)
(ちょ、待っ……殿おおおォ!!!!!)
了
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