優しい雨音
京について早々、天候が崩れてしまった。
今にも雨が降り出しそうな、重い雲が垂れ込めている。
「全く、慶次と居るとろくな事にならないな」
「小次郎、お天気は慶次様の所為では無いでしょう?」
ぶつぶつと文句を言う小次郎を窘めると、慶次様も大きく頷いた。
「そうだぜ、きっとがあまりに美人だからお天道様も遠慮したんだ。だからの所為だな」
「ええっ、私ですか?」
「訳の解らん事を言うな、早く宿を探すぞ。雨に打たれてが風邪でもひいたらどうする」
「そん時は俺が優しく看病するから心配要らねぇ」
「お前だけは近付けたくない」
「妬くなよ」
「主の身を案じてるんだ、お前みたいな見境の無い野良犬を放しておけるか!」
そんな事を言っているうちに雨は降り出して。
どうにか宿が取れた時には、小次郎の言った通り私は風邪をひいてしまっていた。
「熱が高いな。明日はこのまま寝て居た方が良い」
「すみません、小次郎、慶次様…」
「の所為じゃないさ。それにどっちにしろ、今日明日は豪雨になりそうだからな」
「そうそう、さっき宿の女中が言ってだぜ?京は盆地だから、雨続きなら道が悪くなるし出歩かない方が良いってな」
二人の言葉に感謝しながら、私は暫く眠らせて貰う事にした。
熱で身体がふわふわして、本当は瞼を開けているのも辛かったからだ。
どれくらい眠ったのだろう。
ふと目を覚ますと、昼に入った宿の中はもう薄暗かった。
相変わらずざあざあと響く激しい雨音を聞きながらぼんやりしていると、すっと大きな掌が額に触れた。
「んー、中々下がんねえな」
「慶次様…?」
「お、起こしちまったか?」
「いえ、丁度起きた所です」
額の手が離れる。
少し寂しく感じながら視線を滑らせると、小次郎の姿が無い。
「小次郎は…」
「丁度今、宿の女将に会いに行った所だ。の夕餉を粥にしてくれってのと、薬用の白湯を出してくれってな」
そうでなきゃ俺が横に居たら怒られてる、と慶次様は肩を竦めて笑った。
「すみません、慶次様。私が寝込んだばかりに足止されてしまって」
「いや、俺は感謝してるよ。ああ、が辛いのに感謝ってのはおかしいか。でも、この天気は有難いと思ってる」
「有難い…?」
「だってそうだろ?」
不意に慶次様が真顔になる。
何時も明るく振舞っていらっしゃるだけに、その真面目な表情は重く感じた。
「この旅が終わったら…一旦とは離れなきゃならなくなる」
そう、これは期限付きの旅。
私も解って居た事だけれど…旅の終わりを考えると胸が苦しくなる。
悲しい思いが顔に出てしまったのか、慶次様は優しく頭を撫でてくれた。
「そんな顔しないでくれ。…だから、足止してくれてる天気には感謝してるんだ。俺達の味方だな、と思って」
「天候まで味方に付けてしまう慶次様は、凄いですね」
「いや、のお陰だろう。ほら、昼にも言ったが太陽が遠慮してるんだよ」
さらさらと髪を弄りながら、慶次様は私を安心させる様に微笑む。
けれどそれは何時もの明るい表情とは違って、やはり仄かな寂しさを拭い切れない。
「雨が降ってる間、が寝込んでる間は一緒に居られる時間が延びる。熱で辛いのに不謹慎かも知れねぇが、俺は側に居られて嬉しいんだ」
「そんな事を言われたら、元気になりたくなくなります。私も…少しでも一緒に居られる方が、嬉しいですから」
「おっと、気持ちは嬉しいが…何時までも具合が悪いのは困るな」
頭にあった手が頬に下りる。
冷たい掌が心地好く自然と自分から擦り寄ると、猫みたいだな、と慶次様は笑った。
「には何時も元気に笑ってて欲しいんだ。だから、天気や病気に頼らずに俺の力で変えてみせる」
普段の明るい表情とは違う、でも先程のような悲し気なものでもなくて。
強い想いを込めたその眼差しに、胸の奥が熱くなった。
「俺の力で、とずっと一緒に居られるようにしてみせるって、約束する」
「慶次様……」
私は、先の見えない不安からはっきり気持ちを伝えてすら居ないのに。
慶次様は躊躇いを見せずに誓って下さった。
前田家の事や謙信様の事、私よりも背負うものが沢山ある立場で誓って下さったのだ。
「有難う、ございます…」
私も、もっと強くなろう。
離れなければならない日の事を考えて落ち込むより、一緒に居られる方法を探そう。
慶次様が前向きに考えていらっしゃるのに、弱気になんてなっていられない。
「さて、と」
じっと見詰めて居ると、照れてしまったのか慶次様は赤い顔で立ち上がった。
「そろそろ小次郎も戻るだろう。夕餉迄、もう少し寝てな」
「はい…」
大きな掌で瞼を降ろされれば、降り頻る雨の音が聞こえる。
慶次様は、太陽が私に遠慮して居ると仰ったけれど、それは違うと思う。
こんなにも私を想って下さる、慶次様の御心に気を利かせてくれたのではないだろうか。
「…大好きだ、」
慶次様の呟きに満たされて眠る、穏やかな気持ちの私には。
さっきまで煩いだけだった激しい雨音も、少しだけ優しく聞こえた。
了
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