側に居るから
私は貴方を待って居ると約束した。
だから、此処から動きません。
何があっても…貴方に迷惑を掛ける事だけは避けたい。
私を信じて、愛してくれた貴方の為なら何でも出来る。
そう、刃を握る事だって、怖くなんて無い。
「長尾、早く帰ってやれ」
「…有難う」
これまで武田に感謝した事なんて多分無いだろう。
でもこの時ばかりは本当に本当に感謝した。
私を動揺させて戦に勝とうなんて真似をされたら、どうなっていたか解らない。
きっと私は軍神どころか死神と呼ばれた事だろう。
いや、でも次の戦ではそう呼ばれるに違いない。
もう理性なんてものは解き放たれた野獣に喰い散らかされて破片さえも見えないから。
「――、!!」
呼び掛ける声に、君は微かに笑った。
私が強く握り締める掌は、握り返そうとしてくれるけれどぴくりと動いただけで。
「け、んしん…さま……」
口を開けば鮮血が零れて。
「……!!」
抱き締めても抱き締めても、指の間から零れてしまいそうなその命。
誰か御願い、時を止めてくれないか。
彼女の命をもう一度、二人の時間をもう一度、幸せだった時に戻して欲しい。
「っ、げほっ、」
咳き込んだの口からは更に血が溢れた。
願っても願っても、時は過ぎ流れて行くばかりで彼女を連れ去ろうとする。
「…一緒に、海を見に行こう」
医師を、と云う声を遮り、の身体を抱き上げる。
私だって諦めたくは無いよ。医師を呼んで何とかなるならそうしたいよ。
でも、軍人として重ねた経験から嫌でも解る。
君の命は、もう何をしても留まらず消え去ってしまうと云う事が。
必死に馬を駆ける。
途中、何度も君の呼吸があるか確認した。
胸に大きく空いた風穴からは止め処無く赤黒い血が溢れて、その手首迄滴る程。
誰がこんなに君を追い詰めたのだろう。
みんな酷いよね、君の気持も知らずにさ。
私には解ってるよ、君がどれだけ優しいか。
傷付いて密かに涙を流してた事も知って居た。
知ってた、のに。
知って居て、何も出来無かった、弱い私が君を追い詰めたの?
「、海だよ…ほら、波の音がするでしょ」
「ええ……」
吐息の様な声。
終わりがもう、目に見える所まで来ている。
その時が来るのが怖くて、怖くて。
「ねえ…私の側に居てね」
強く抱き締めて伝えれば、君は笑ってくれた。
痛い筈なのに、とても苦しい筈なのに。
それでも私に笑顔をくれる。
「謙信、様…私は、ずっと……」
笑って、そっと私の頬を撫でて。
その続きも言わずに、するりと落ちて行く腕。
「……?」
ねえ、見たくないよ。
嫌だよ。君の目から色が無くなる所なんて見たくないよ。信じたくないよ。
その細い指から温度が無くなるなんて、ねえ嫌だよ、嫌だよどうかもう一度笑ってよ。
「、………」
涙は出なかった。
泣いたら、君が本当にもう手の届かない所へ行ってしまう気がして。
君が私を信じて待って居てくれたように、私も君を待つ事にするよ。
ずっとずっと君だけを想って待ち続けるから、信じて居ても良いよね。
「ずっと。側に、居てくれるんだよね?」
もし君に聞く事が出来たら、君は答えてくれるだろうか。
私の側に居てくれると、あの頃の笑顔で教えてくれるのかな。
どんなに離れて居ても、きっと繋がって居ると思って良いのかな。
風の音と波の音。
その中に君の声と笑顔を探して、虚空に手を伸ばし祈った。
「違う世界に分かたれてしまったけれど…これからも一緒に居てね、」
吹き抜ける潮風は私の髪と頬を擽って過ぎて行く。
その中に、微かに優しい声が聞こえた気がした。
大丈夫、私は貴方の御側に居るから
どうかこれからも強く生きて下さい
貴方が私を想って下されば、何時でも笑い掛けます
私は貴方を待って居ると約束したから
だから、何時でも側に…ずっと、貴方の御側に居ます
了
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