安らぐ背中




「あっ、」

筑前への長い道中、私の草履はすっかり疲れ切って居たのか、ぷつりと鼻緒が切れてしまった。

「どうした」
「鼻緒が切れてしまいました…」
「貸してみろ」

直ぐ様小次郎が修繕をしてくれる。
剣技を磨く為に色々な所へ行ったと言って居た彼は、こういう事にも慣れて居るのか器用に新しい鼻緒を付けてくれた。

「出来たぞ。行こう」
「有難う、小次郎」

そうしてまた歩き出したのだけれど。

「…………」

私の右足はずきずきと鈍い痛みに襲われて居た。
鼻緒が切れる時に少し捻ってしまった様で、足首だけが何だか熱っぽい。

「この調子なら、思ったより早く次の村に着けそうだな」
「え、ええ」
が気丈な姫で良かった。正直、か弱いお姫様と云うのは好きじゃないからな」
「…………」

そう言われてしまっては、足が痛いなどとは言い出し難くて、私は痛みを堪えて歩みを進めた。
小次郎が誉めてくれた分、頑張らなくては。
それほど激しい痛みでは無いし、気を紛らわせながら行けば大丈夫。


そう思って黙々と歩くうち、道は険しい峠に差し掛かった。

「足場が悪いな…大丈夫か?」
「私は平気です」

強がりで笑って見せると、小次郎も微笑んでくれる。
気丈な姫で居なければ。小次郎はそれが良いと言ってくれたのだから。

「此処を越えればすぐに宿場だ。それまで頑張ってくれよ」
「は、い…」

宿場まで行けば休める。
一晩休めば、きっと具合も良くなる筈。
あと少し頑張れば、小次郎に弱いところを見せずに済むのに。

「っ……」

木の根に躓いた足は息の詰まる痛みを運んで、私はその場に倒れ込んでしまった。

!」

小次郎の焦った声が飛んで来る。
大丈夫、と笑って見せなければいけないのに、私の体は言う事を聞かない。
顔を上げようにも目眩が張り付いて、視界がぐるぐると回ってしまう。

「これは…捻挫だな。何故すぐ言わなかった」

いつの間にか腫れ上がって居た足首を見て小次郎は眉をひそめた。

「それほど、痛く、無かったので…」
「無理をすれば悪化するに決まってるだろう」
「…ごめん、なさい」

厳しい口調。
隠して居た事を怒って居るのかと謝ると、小次郎からも謝罪が返って来た。

「いや。俺が悪かった。すぐに気付いてやれなくて…これじゃ護衛失格だな」
「そんな、小次郎の所為じゃ……」

私が黙って居たばかりに小次郎を傷付けてしまうなんて。
悲しくなって俯いた額に、不意に小次郎が手を当てた。

「熱も出て居るみたいだな。早く宿に入って休まないと益々悪化する」

先程からの目眩は、捻挫の熱が体に付いてしまったからなのか。
小次郎の掌はひんやりとして気持ち良く、離れて行くのが名残惜しかった。

「ほら、早く行くぞ」
「え…?」

踞った儘の私の前に屈み、背中を向ける小次郎。
おぶされ、と言って居るのだろうけれど…
一人で歩くのも大変な道を、私を背負って歩くとなれば、小次郎には大変な負担になってしまう。

「でも……」

躊躇って居ると、ぐい、と手を引かれた。

「こんな所で野宿と云う訳には行かないだろう。一人くらい、俺には何と云う事も無いさ」

申し訳無い気持ちはあるけれど、確かに野宿が出来る様な場所でも無い。
ふらつく体で小次郎の肩に腕を回し、大人しくその背に身を任せた。
確かこういう時には、なるべく近くで体の力を抜いた方が支える方は楽だと聞いた事がある。
出来るだけ負担を軽くしたくて、私はぴったりと小次郎にくっついた。

「しっかり掴まってろよ」
「はい」

細身に見えてもやはり剣豪、小次郎は先程までと変わらぬ軽快な足取りで進んで行く。
力強い腕に支えられた背中はとても安心出来る場所で、私はこの人に守られて居るのだと実感して嬉しさと少しの気恥ずかしさから目を閉じた。



規則正しい揺れと熱の気怠さから眠気が訪れ始めた頃、ぽつりと零された呟きで私は瞼を開いた。

「…俺では頼り無いか?」
「え、」

予期せぬ問いに戸惑う私を誤解したのか、小次郎は呟く様な声の儘続ける。

「紹介された時も不安そうな顔をして居たな。俺では護衛として頼るに足りないんだろう」
「何故、そのような事を…」
「それだけ腫れて居るんだ、一国の姫君が我慢出来る様な痛みじゃ無い。無理をしてまで俺には言いたく無かったのか?」
「違います!」

私はただの姫じゃ無い。
小国だもの、それなりに一人で身の回りの事は出来る様に育てられて居る。
小次郎が嫌うようなか弱い姫なんかじゃ無い。

「小次郎は立派な護衛です、でも…私は本当に平気なんです」

強い口調で言うと、小次郎は驚いた様に首を傾けて此方を振り返った。

「どうして其処まで強がる。姫で無くとも、これは普通の女子にはきつい道だ」
「そ、それは…その……」

口に出すのは恥ずかしいけれど、隠そうとしてはまた信頼されて居ないのだと思ってしまうかも知れない。
私の所為で小次郎を傷付けるのだけは嫌で、言い難い言葉をどうにか紡ぎ出した。

「…小次郎が、か弱い姫は好きじゃない、と言って居たから……」
…、そんな事を…」

呆れた様な声は聞こえたけれど、表情は解らない。
私は目を合わせるのが恥ずかしくて、その肩にぎゅっと顔を押し付けて居た。
「…それは全体を通しての話だ。ほど芯のしっかりした姫なら、弱いところを見せられたって嫌いになったりしないさ」

「本当ですか?」
「ああ。寧ろなら、そんな弱いところも…」

その時、丁度強い風が耳元を通り抜けて、小次郎の小さな声は掻き消されてしまった。

「弱いところも、何ですか?」
「いや、その…弱いところも無いと、護衛の意味が無くなる」
「それは、確かにそうですね」
「だからもう、遠慮なんかするなよ」
「はい。小次郎の仕事を取り上げてしまわないよう、気を付けます」
「報酬が見合わないと言われては困るからな」
「ふふ、父上はそんな事仰らないと思いますけどね」

何時もの調子に戻った会話に安心して顔を上げると、今度は小次郎が慌てた様に顔を背けた。
私から見えるのは耳だけ、その耳がほんのりと赤いように見えて、そっと自分の頬を当ててみた。

「ん?」
「小次郎も具合が悪いのですか?」
「いや?どうした、急に」
「小次郎の耳、私よりも熱くなって居ます」

熱のある私が暖かいと感じるのだから、とても熱くなって居る筈。

「…っそれは、歩いたからだ。俺は何とも無い」

心配になって覗き込もうとすると、また顔を背けられた。

「でも…」
「大丈夫だ、俺は程無理はしない。護衛が無理をして倒れたら、それこそ護衛の意味が無いだろう」
「小次郎が平気なら良いのですが…」
「ああ。それより、少し急ぐぞ。宿に着くのが遅くなればの体にも障るからな」

そう言って、支える腕に力を込めてくれる。
その逞しい腕に安心して、私はまた瞼が重くなって来た。

「小次郎、」

熱でふわふわする感覚の中。
眠ってしまう前に、言っておきたい事がある。

「なんだ?」

布越しに伝わる体温が、あまりに心地好くて。
このまま小次郎の背中にずっと居たい、と思った。

「小次郎は本当に…」

誰より信頼出来る護衛、側に居てくれて嬉しい。
それをちゃんと伝えたかったのに、温もりの優しさに負けた私が言えたのはたった一言だけだった。

「安心、出来ます……」

それきり感覚が遠退いて、睡魔に飲まれる間際。

「…全く。安心しきって、どうなっても知らないからな」

ぼんやりと小次郎の声が聞こえたけれど、何を言ったかは解らなかった。













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