夕紅に染まる
山道で見る夕陽は、嘗て見た事が無い程に大きく、綺麗だった。
「屋敷から見るものとは、こんなに違うのね…」
旅に出てから、城の中に居ては解らない事、広い世の中の事を沢山見知る事が出来た。
知識が増える事は嬉しい。けれど何より嬉しいのは、学ぶ事によって彼の役に立てる様になった事。
野宿での炊飯にも慣れたし、良い水の見分け方も覚えた。
今も彼に教わった薬草を積んで居たところ。
「、」
優しい声に呼ばれて振り向き――掛けたところで、後ろから腕を回されて閉じ込められる。
「疲れたか?」
「いいえ、平気です。夕陽がとても綺麗なので、見とれて居ました」
「夕陽か…そんなに綺麗だとは思えないけどな」
腕の中から見上げると、小次郎の顔は夕陽の暖かい橙色に染まって居た。
陽光の映る瞳で此方を見下ろす表情は、とても優しい。
「小次郎には見慣れたものかも知れませんね」
「いや、見慣れたと云うか」
腕の中でくるりと向きを変えられる。
向かい合った形で、小次郎の手が私の頬を挟んだ。
「が側に居ると、他のものにあまり心が動かされない」
「こ、小次郎…」
そんな事、瞳を合わせて言われては照れてしまう。
俯きたいけれど、頬を挟まれて居るから動けない。
「この先何があっても、は俺が護ってやる。だから、いつまでも俺だけのお姫様で居てくれよ」
「……はい」
小次郎が側に居てくれるだけで、辛い旅路も楽しいものになる。
この旅は期限付きで、護衛は契約での事だけれど、私はいつまでも彼と一緒に歩んで行きたい。
「、」
頬から手が離れ、頤に添えられる。
さらさらとした小次郎の黒髪が降って来て、私はぎこちなく目を閉じた。
何度こうされても、慣れずに鼓動が高鳴ってしまう。
柔らかい感触が離れて、それからすぐにぎゅ、と抱き締められる。
「…困ったな」
「何がですか?」
小次郎は何か躊躇って居る様な、曖昧な微笑で私の頭を撫でた。
「このまま…拐いたくなる」
赤味を帯び始めた夕陽に照らされて、小次郎の顔も赤く見えた。
「小次郎になら、拐われても構いません」
この人となら、何処へ行っても大丈夫。
そんな気持ちにさせてくれる人だから。
「そんな事を言うと本当に拐うぞ。父上が待って居るだろう」
「なら…父上に、これから拐われますと便りを出しましょう」
私の言葉に小次郎は目を丸くして、それから思い切り笑った。
「は本当におかしな事を言うな。そんな事を報告する姫が何処に居る」
「父上ならきっと解って下さいます。今生を誓う殿方と出会えたなら、その約束を決して違えるなと仰って居ましたもの」
「俺に今生を誓ってくれるのか?」
「はい、私は…」
「待て」
答えようとした口を素早く口付けで塞がれる。
先程よりも短い、一瞬の温もりが唇を掠めて、その後に人差し指が当てられた。
「こういう事は男が先に誓うものだな」
小次郎は私の前に片膝を付き、恭しく手を取った。
「俺は雇われた護衛としては失格かも知れない。任された姫を拐おうとして居るんだからな」
真剣な瞳、真剣な声。
私だけに向けてくれる、小次郎の本心。
「でも、を生涯護り抜く誓いだけは違えたりしない。この命も心も、全てだけに捧げると誓おう」
そっと手の甲に落とされる口付け。
其処から温もりが全身に伝わって、小次郎の愛情が染みて行くよう。
「私も…、」
はっきりと口に出すのは、とても恥ずかしいけれど。
小次郎のくれた真摯な愛をちゃんと返したいから、瞳を逸らさずにこの気持ちを伝えたい。
「生涯小次郎だけを愛し続けます」
真っ赤になってしまった顔は、夕陽が辺りを朱に染めるから、としておこう。
了
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