婚儀ニ未練ノ涙雨


「政宗様は誠実なお方です!」

「…勝手にしろ」


あの時、必死に止めて居れば。
こんなにも惨めな思いをせずに済んだのだろうか。




「おめでとうございます」

人々の祝辞を浴びて微笑む二人。

その幸せを手伝う使いに走った自分の、なんと愚かなこと。
何より、この期に及んで醜い嫉妬を燃やす自分が嫌になる。

「小次郎、相変わらずの仏頂面だな。祝いの席くらい楽しそうにしたらどうだ」
「…俺は宴会の騒がしい空気が嫌いなんだ」
「全く、付き合いの悪い男だなお前は」

そう言って笑う顔は幸せそのもので、彼女を見る瞳は本当に優しい色をしていた。

天下に響く遊び人だったと云うのに。
彼女もまた、移り気な彼が徒に目を止めただけの一時の気紛れに過ぎないと思って居たのに。

「小次郎、今まで色々と有難う」

彼女が傷付かずに済んだのは良かったと思う。

「ああ…仕事、だったからな」

けれど、本当は心の奥では、望んで居たのかも知れない。

「護衛以外の事でも沢山助けて貰いました。小次郎の助言が無かったら、私は父上を裏切る事を恐れて、きっと今日と云う日を迎えられなかったでしょう」

彼女が捨てられて、自分に泣き付く日が来る事を。

「おい、二人で何をこそこそ話してる」
「政宗様。小次郎に今までのお礼を言って居りました」
「そうか。これからは、俺がお前を守ってやるから心配するな」
「はい、政宗様」

白無垢の中で桃色に頬を染めて頷く彼女。
その手を取る自分の姿を、幾度思い浮かべたか解らない。

「殿、姫様、主役のお二人がこんな隅にいらしてはいけません。ささ、此方へ」
「小十郎は一々姑のようだな。嫁いびりをしたら許さんぞ」
「何を仰います。殿がだらしないから口煩くもなるのですぞ。姫様は寧ろ同志、いびりなど致しません」
「まあ、小十郎様ったら」

笑い合いながら客人の輪へ入って行く背中を、ただぼんやりと見送った。

天下人となった彼は、文句の付け様も無い立派な武将。
それに比べ自分は、ただの流浪人に過ぎない。
一国の姫を娶るなど…戯けた妄執を幾ら抱いても叶う筈も無い事だ。

「本当にお二人はお似合いで…」
「奥方様のお美しいこと……」

止まぬ祝辞から逃げる様に、酒を手に広間を抜け出した。
昼から始まった婚儀は既に月の昇る時刻になって居る。
あの祝宴の場に居るよりは、厚い雲に霞む月光の下静かに盃を傾ける方が自分には似合って居るだろう。

「…所詮、この世は身分だな」

天下などよりも自身の剣技を高める事だけを目指して生きて来た。
この名を知らぬ者の無い程磨いた腕は、愛する人を護る事は出来ても、手に入れる事は叶わない。
名声など何になる。富を得ねば報われぬ世で、修行が何の役に立つ。

雲は月を覆った。
今宵は雨になるだろう。
ふと、以前護衛の仕事を受けた主の付き添いで見た芝居を思い出した。
婚儀が駄目になった娘の涙雨が、幾年経ても同じ日に降り注ぐと云う逸話。
あれが本当なら、この日はこの先ずっと雨になるだろう。
独り泣く事も出来ずに曇天を見上げる自分の代わりに、空が涙を流せば良い。
言いたい事も言えずに終わった恋を洗い流す様に、激しく降り続ければ良い。

「期待など…初めからして居ないさ」

染み付いた虚勢の張り方は完璧だ。
金で結んだ契約で心が結べる筈も無い。
剣の道に女など不要だ、邪魔にしかならないと自身に言い聞かせる。
そうやって嘯いてみせて、少しでも傷心を和らげようと酒を煽った。

「小次郎?」

不意に胸を締め付ける声が掛けられ、瞬時体が強張る。

「…どうしたんだ、主役が」

平生を装い答えれば、彼女は柔らかい笑みを浮かべて傍らに座った。

「先程から姿が見えなかったので、どうしたのかと思って」
「静かに飲みたかっただけだ。ああいう騒ぎは好きじゃない」
「小次郎は、何時でも自由気儘ですね」
「…そうでも無いけどな」

出来る限り自身に素直には生きて居る。
けれど、どうにもならない事は素直に願ったところでやはりどうにもならない。
そういう時、そう今の様な状況では、自身を縛る何にも逆らえもせず流されるだけだ。

暫し無言の時が流れた。
黙って盃を傾ける自分を、彼女もまた黙って眺めて居る。
こうして隣に居ても手は届かない。
丁度月が雲に遮られて居る様に、自分と彼女の間には彼が居て、地上から空を仰ぐだけの自分ではその光を受ける事が出来ない様に、触れる事は叶わないのだ。

「小次郎、一つお願いをしても良いでしょうか」

長い沈黙を破ったのは彼女だった。
何だ、と問う代わりに視線を向ける。

「この先も、契約が切れても…小次郎とはまた、こうして会いたいのです」

盃を持つ手が震えた事には、気付かれ無かっただろうか。

「…何故」
「小次郎と居ると、不思議と楽しいのです。私の知らない事、考えてもみなかった事を聞けて、違う自分を発見出来ました」
「それなら、」

俺と来れば良いのに。

「何ですか?」
「……いや。何でもない」

辛うじて飲み込んだ言葉を酒で押し流す。

何故いっそ嫌われなかったのだろう。
好意を持たれて居ても、結局彼女が選んだのは孤高の竜。
好かれるだけこの気持ちは散り際を見誤り、醜く固執を咲かせるだけだと云うのに。

「無理にとは言いません。自分の道は自分で選ぶのだと、小次郎に習ったのですから」

自分の道。
彼女と居たい気持ちは強くある。
けれど他人のものとなった彼女の側に居るのは、耐え難い苦痛にしかならない。

「そうだな。なら……」

今すぐ拐うか、これきり会わないか。
自分で選ぶ潔い未来は二つしかない。
解って居てこの口は未練を垂れ流し、自身への嘲笑を微笑に見せて浮かべるのだ。

「また会いに来よう」
「本当に…?良かった、有難う小次郎」

弱い自分が嫌になる。
強くなる為にと歩んだ今までの道は何だったのか。
何故こんなにも、彼女に対し強く在れないのか。

「ではそろそろ戻りましょうか。あまり席を外すと、小十郎様に怒られますから」
「ああ」

立ち上がった後ろでは、ぽつりぽつりと雨の落ちる音がした。

「それに、政宗様にも咎められます」

その名を口にする瞬間、確かに嬉しそうに笑って。
その顔が見たくなくて反射的に目を閉じれば、瞼に浮かぶのは旅に出た頃の彼女。

『小次郎』

自分を頼り切って居た、無邪気に笑う彼女の顔だけが見える。

「何処へ行っていたんだ、探したぞ」

邪魔をする声が割って入っても、記憶の中の彼女は靡かないから。

「ごめんなさい政宗様、小次郎の姿が見えなかったので…」
「今夜は他の男など見るな。お前は俺だけのものだろう?」
「は、はい…」

今宵彼女が彼のものになってしまっても。

「…………」

振り返る空は雨に濡れて暗い。

「小次郎、早く来い。また俺の妻に抜け出されては困る」
「ああ」

今宵天の涙の中、独り泣く事になっても。

「ほら、小次郎」

笑顔で手を引いてくれる彼女の、美しい幻想を手離せはしないから。

「そういえば、お前からは祝辞を聞いて居ないな」
「そうですね、小次郎からは聞いて居ません。一言、お願い出来ますか?」

熱く爛れる程の恋を隠して、これからも側に居続けるのだろう。
二人を見守るだけの人間として。

「……結婚おめでとう。幸せにな」













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