中夜の誓い


朝一番。

「はっはっは!それは愉快だ!」

政宗様の笑い声が響く中、私は首を傾げていた。

「小次郎も不憫ですな…」

小十郎様も、肩を震わせて笑っている。

何かそんなに面白い事を言っただろうか。
考えてみても、普通の会話をしただけなのだけれど…

、本当に解らぬのか?」

笑い過ぎて涙目になった政宗様に問われ、私は今までの事を思い返した。

昨日、私と小次郎は祝言を挙げた。
その前からずっと一緒に居たけれど、やはり夫婦になったのだと実感出来た。
そして今朝――つい先程、台所に手伝いに行こうと歩いていて、政宗様と小十郎様とすれ違う所で聞かれたのだ。
昨夜はどうだった、と。

「…解りません。何時も通りよく眠れた事が、そんなに可笑しいでしょうか?」
は本当に純粋だな!なあ、小十郎…くくっ」
「併し殿、様も武家の姫君ですからご存知ではありましょう。恐らく小次郎との暮らしに慣れ過ぎて気付かないのでは」

小十郎様は随分笑いが落ち着いて来たようだけれど、まだそのお顔はぴくぴくとひきつっている。

「そうかそうか、世話焼きで口煩い小次郎では男として見れぬのだな!きっと小十郎でも同じ…」
「殿!それはどういう」
「おっと悪い、急用が出来た」
「殿ォ!逃がしませんぞ!」

バタバタと走り去るお二人の背中を見詰めながら、私の頬は真っ赤に染まっていった。
解ったのだ、政宗様のお言葉で、笑われた意味が。

「昨夜は…初夜だったのですね…」

呟いてから更に赤くなる。
ああ、大変な失敗をしてしまった。
旅の間、ずっと隣で眠る事が普通だったから、私は昨夜も同じつもりで眠ってしまったのだ。
男として見ていない、なんて小次郎にも思われていたらどうしよう。

「謝らないと…」

そうは思っても、事の内容が内容なだけに人前では切り出しにくい。
これから小次郎は政宗様達と稽古があるし、其処へ行ってはまたからかわれてしまいそうだ。
稽古の終わる夕刻まで待つしかない。
もやもやした気持ちを落ち着ける為にも、それまでは侍女達の手伝いに専念しよう。

と、思っていたのだけれど。

「あらまあ様、今日は休んでいらっしゃらなくて良いのですか?」

台所に入るなり、年配の侍女がそう言った。

「え…?何故でしょう?」
「ほら、今日はお身体がお辛いんじゃないかと思いまして」

突然言われたら解らなかったかも知れない。
けれど先程の政宗様との会話が、私の思考をすぐに働かせた。

「い、いえ…その……変わりありません」
「まあ、まさか」

侍女は目を丸くする。

「まだなのですか?」
「は、はい……」

若い侍女が、姫様相手に根掘り葉堀聞くんじゃないわよと彼女をたしなめたが、彼女は何故か怒った様子で口を開く。

「そんな事ってあるのかしら。こんな綺麗な姫様相手に失礼ですよねえ」
「え?いや、あの…私が、うっかり先に寝入ってしまったものですから…」
「それにしても。初夜に何もしないなんて、まるで様に興味が無いかのよう」

一瞬、頭が真っ白になった。
そういえば夜伽と云うのは、寝た振りや嫌がる素振りを見せなさいと習った。
そうしていれば殿方から優しく手解きして下さるものだからと。
私は本当に眠ってしまっていたけれど、それでも本来なら小次郎が行動を起こすべきだった訳で…
何も無かったと云うのは、私に魅力が無いせい?
守ってやるとは何時も言われるけれど、それは女子として見るのとはまた別なのでは…と不安が募った。

「ちょっとおばちゃん、それじゃ様に失礼よ。多分、姫様がお相手だから緊張して何も出来なかっただけでしょ」
「そうかしらねえ。あたしの旦那なんて、初夜から二回三回…」
「はいはい、おばちゃんの色事なんか犬も食わないから終わり」



結局、手伝いもそこそこに私は自室へと引き上げた。
小次郎に謝らなければと思っていたけれど、どうすれば良いのだろう。
もし彼女の言ったように、私に興味が無いのだとしたら…小次郎は何とも思っていないのに謝ったら、とても恥ずかしい事になる。でももし傷付けていたなら謝らないのも申し訳ないし…
夕刻まで散々悩んで、私はある方法を取る事にした。



「ただいま」
「あっ、お、おかえりなさい!」

小次郎の帰宅を緊張して迎える。
帰宅と云うか、同じ屋敷の中で間借りしている訳だから帰室と云うのかも知れない。

「ああ、今日も疲れた」

小次郎は普段と変わりない様子で座り込む。
横目でそっと表情を窺っても不機嫌そうには見えない。
政宗様ならきっとからかって、小次郎は怒って帰って来るのではと案じていたけれど。
からかわれなかったのか、それとも…からかわれても平気、つまり小次郎が望んでいない事なのか。

「あの、ええと…小次郎に、お願いがあるのです」
「何だ、改まって」
「今夜は天候が崩れそうだと聞いたのですが、その…」

直接的では無いと云え、これも中々気恥ずかしい。
けれど言わなければ、小次郎の気持ちが解らない儘になってしまう。

「その、か、雷が鳴ったら怖いので…同じ布団で寝ても良いでしょうか?」
「雷?あんなものの何処が怖いんだ…まあ、構わないが」
「有難う御座います」

許可を貰えてほっとする。
でも…とまた不安が一つ。
同じ布団で寝ると云う事に、彼は全く恥ずかしそうにしていない。
野宿の時は膝枕だったのだから、それを思えば同じ布団くらいと考えているのかも知れないけれど。



もやもやした気持ちの儘夕餉を終え、いよいよ床入りの時刻。
実際天気は崩れ、外はざあざあと大粒の雨が降っている。

「お、お邪魔します…」
「ああ」

私はとても緊張して布団に入ったけれど、小次郎は普段の調子と変わらない。

「さ、最近はずっと離れて寝ていましたから、何だか緊張しますね」
「そうか?」
「私だけ、でしょうか…」

あれこれ気を揉んで居るのは自分だけなのだろうか。
侍女が言った様に、小次郎にとっては興味も無い事なのかも知れない。
少し落ち込んで、溜息を悟られぬよう体勢を変えた時、偶然小次郎の手に触れた。

「小次郎、寒いのですか?」
「い、いや」
「でも…」

凄く指先が冷えている。
冷えているというか…冷や汗?

「具合でも悪いのですか?」
「大丈夫だ、気にするな」

小次郎はぶっきらぼうに言って顔を背ける。
もしかして、照れている…?
と云う事は、意識されていると思っても良いのだろうか。
そんな事を考えると、また急激に緊張して来てしまう。

「あ、あの、小次郎」
「何だ」
「私達は…昨日、確かに夫婦になったのですよね」
「…そうだな」

ああ、どうしよう。
まさか自分から良いですよなどとはしたない事は言えないけれど、このままでは小次郎を苦しめてしまう。
何とか遠まわしに言わなくては。

「ええと…今朝、政宗様に笑われてしまいました」
「………」

何故笑われたか聞かないと云う事は、内容は解ってくれた筈。

「すみません、私、祝言で緊張して居たものですから…無事に終わった安堵感で、うっかり先に寝入ってしまいました…」

これで拒んでいる訳では無いと伝わっただろうか。
伝わっていなくても、これ以上の事は言えない。もう恥ずかし過ぎてどうにかなってしまいそうだ。
どうか解ってくれますように、と祈る気持ちで返事を待つ。

「…

ややあって、小次郎が此方を向いた。
併しその目は泳いでいて視線が合わない。
私も思い切り恥ずかしい状況だから、今は合わない方が助かるけれど。

「その、俺は……が嫌がる事は、したくない」
「は、はい」
「だから、心の準備が出来て居ないと云うんだったら…その、まだ、構わないんだぞ」

そっと握られた手はやっぱり冷たい。
でも今度は私の手も緊張し切って冷えて居るから、同じ温度になっていた。

に無理はさせたくないから…嫌なら、幾らでも待つ」

待つ、と云う言葉にはっとする。
祝言を挙げるまでの間も私達は夫婦同然の暮らしをして居た。
もしかして、小次郎はずっと待って居てくれたのだろうか。

「小次郎…もしかして、ずっと我慢して居たのですか?」
「べ、別に我慢と云う訳じゃ…。ただ、は由緒正しい御姫様だから、その」
「もう姫ではありませんよ?」
「いや、その、育ちが良いだろう。だから、祝言前に妙な事をしたら野蛮、とか破廉恥、とか言われそうな気がして…」

もごもごと口籠る小次郎に、私は思わず笑ってしまった。
その気の遣い方が小次郎らしくて。
それと同時に、ほっとした。
小次郎は私に興味が無かった訳では無くて、大切に想って居てくれたのだと解ったから。
私が悩むよりずっと悩んで居てくれた、それが申し訳なくも嬉しい。
何時だって小次郎は、私に甘いのだ。
そう思うと緊張も少し和らいで、笑って冷たい手を握り返す事が出来た。

「それならもう心配は要らないでしょう?私は、既に貴方の妻なのですから」
「そ、そうだな…なら、その、…良いのか?」

可笑しいくらい戸惑う小次郎に、私はゆっくりと頷いた。

「はい、小次郎」

話をしているうちに時刻は中夜。
初夜を失敗してしまった私達には丁度良いかも知れない。
中夜の誓い、そういう事にして、改めて夫婦の絆を深めよう。





朝一番。

「はっはっは!そうかそうか、上手く行ったか!」

政宗さんの笑い声が響く中、俺は唇を噛んで居た。

「やはり殿は気付いて居ないだけでしたな…」

小十郎も、肩を震わせて笑っている。

初夜にがあっさり寝てしまった事をつい零したら、この有様だ。
まあ二人がカマを掛けてくれた御蔭で、俺は拒まれて居るのかと悩まずに済んだ訳だが…

「それで、どうだったのだ?良かったか?」

笑い過ぎて涙目になった政宗さんに問われ、俺は厄介な弱味を握られたと溜息を吐いた。

「…悪いがそれは教えられないな」
「薄情な。良いではないか、少しくらい聞かせろ」
「政宗様、それでは悪代官のようですぞ」

味方をしてくれた小十郎に感謝してその場から逃げる。
俺のの事を、他の男に教えられるものか。
旅の途中からずっと…此処で同居するようになってからは更に、忍耐続きの日々だったのだ。
中夜にして漸く結ばれたこの喜び、手助けしてくれた政宗さんであろうと分ける気は無い。

「小次郎ーっ、逃げるとに言いつけるぞーっ!!」

…政宗さんには、後で鍛錬の時に痛い思いをして貰おう。
そんな事をばらされてに嫌われたら、俺は生きて行けないからな。
は奥手な俺が必死に手に入れた大切な妻だ、誰にも邪魔はさせないさ。
















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