毎日毎晩
嫁に来いと言われて、その後どうにか好きだと言って貰って。
その一言で終わり。
夫婦になってからも、照れ屋な彼は特に想いを口にしてはくれない。
お弁当を持って行けば有難う、とかそういう事は言ってくれるけれど…
時にはもっと他に教えて欲しい事がある。
毎日毎晩共に居ても、時々不安になってしまうから。
「やっぱり、小次郎は強いですね…」
小次郎の弟子になりたい!と、体格の良い人が二度目の突撃を掛けたこの日。
「一応、剣客として稼いで居たからな」
相手の殿方は前より酷く小次郎の突きが入ったようで、だらりと寝そべった儘動かなかった。
「殿を狙う男が相手では、気合いの入り方が違うな」
「煩いぞ、小十郎」
しかめっ面で言う小次郎の頬は、少し赤い。
思わずくすりと笑うと、睨まれてしまった。
でもそれも、顔が赤いと可愛らしく見える。
「ところで小次郎、この男はどうするのだ?」
政宗様が倒れた殿方を指して言う。
「気が付いたら帰って貰う」
「いや、そうではなくて。弟子にしてやるのか?」
「まさか。こんな暑苦しい男、面倒臭くて御免だ」
「筋は悪く無いと思うのだがな」
「なら、政宗さんが雇えば良いだろう。とにかく俺は、絶対に嫌だ」
心底面倒臭そうに言い放ち、小次郎はどっかりと縁側に座り込んだ。
元々小次郎は勝負を挑まれるのが好きではない。
それに、確かにあの殿方は少々暑苦しいから、一度の手合わせで酷く疲れる気持ちは解る気がした。
「小次郎、お茶をどうぞ」
「ああ、有難う」
「あの方にも、用意しておいた方が良いでしょうか…」
倒れた儘の殿方を放っておくのは気が引ける。
ちらりと視線を向けて呟くと、小次郎は苦い顔をした。
「そんなもの、放っておけば良い」
「でも…」
「あいつが勝手に勝負を挑んで来て、勝手に倒れてるんだ。が気にする事じゃない」
何だか何時もの小次郎らしくない。
仕事の事となればあっさりと割り切る所はあるけれど、本来は世話焼きで人情深い性質だ。
放っておけなんて、少し冷た過ぎるのでは…と気にして居ると、政宗様と目が合った。
「政宗様?」
「いや、何でも無い」
何でも無いと言いながら、その御顔は可笑しくて堪らないといった笑みを湛えて居る。
「あの…?」
私が首を傾げると、政宗様は一層笑みを深めた。
そして、そのまま視線を逸らし立ち上がる。
「小十郎、俺達はそろそろ引き上げよう。ついでに、その男も連れて来てくれ」
「畏まりました」
「ではな。邪魔をした。後は小次郎と仲良く過ごすのだぞ」
「え?あ、はい…」
政宗様は颯爽と出て行ってしまう。
その後から小十郎様が男を引き摺るようにして出て行けば、道場には私達だけが残った。
「…」
何となくぼんやりと政宗様達が出て行った方向を見詰めて居ると、不意に小次郎に名を呼ばれた。
「はい」
「そんなに…あいつが心配か?」
「え…?」
「あいつが連れて行かれたのが、そんなに気になるか?」
一瞬、何の事か解らなかった。
先程迄話して居た殿方の事だと云うのに、綺麗に忘れてしまって居たのだ。
心配な所は勿論あるけれど、小次郎が突いたのなら安全にしてくれている筈だから、と割と呑気に受け止めて居たからかも知れない。
「いえ、それほど…」
考えてから答えると、僅かな間が空く。
その間を小次郎はどう思ったか、眉間に皺を寄せた。
「素直に言って構わないんだぞ」
「いえ、本当に。申し訳無いくらい、忘れて居ました」
「…そうか」
「はい」
また、黙ってお茶を飲む。
何故そんな事を聞くのだろうと考えながら、私も自分の湯呑に口を付けた。
色々と考えてみると、小次郎は最初からあの殿方が嫌いだったな、と思い出す。
私との時間を邪魔されたから…と怒ってくれたのは嬉しかった。
小次郎にとっては迷惑な殿方かも知れないけれど、私にとっては何かと有難い存在だ。
前回も今回も、彼のお陰で小次郎が怒ったり照れたりする所を沢山見られた。
「…あの方、またいらっしゃるでしょうか」
「さあな。来て欲しいのか?」
「たまには。あの方がいらっしゃると面白いですし」
普段見れない小次郎の一面を見る事が出来るのも嬉しいし、政宗様、小十郎様とのやりとりも面白い。
平和な日々も幸せだけれど、たまにはこういう騒動も悪く無いだろう。
そう思ったけれど、小次郎の表情は相変わらず渋いものだった。
「小次郎にとっては面倒なだけでしょうか」
「いや…」
小次郎は何か言いにくそうに口籠る。
どうしたと云うのだろう。
そういえば先程から少し様子が何時もと違って居たけれど…
「私、何か気に障る事でも言いましたか?」
「そうじゃない」
「でも、様子が変です。何かあったのなら、教えて下さい」
「………」
暫く沈黙が落ちる。
何を言われるのかと緊張して息も詰まりそうになるけれど、急かしてはいけない。
小次郎の中で言葉が纏まるまで、ただじっと待ち続けた。
「…あの男が」
やがて、ぽつりと零された呟き。
「あの男が来ると、は嬉しそうだから…」
「え……?」
予想だにしなかった言葉にぽかんとしてしまう。
「あいつが来た日は、嬉しそうに笑って居るだろう?」
「それは…そうかも知れません」
「だから、あいつの事を気に入ったのかと…」
驚いた。
私は確かに、あの殿方が来た日はよく笑って居ると思う。
でもそれは、小次郎が普段より優しくなるから。
あの方のお陰で小次郎の気持ちが聞ける事が嬉しいだけで、彼が来る事や増して彼自体の事など、何とも思って居ない。
「それにあいつも、の事を美しいとか勝手に言って居たからな。君がそんな態度だと、余計に思い上がられそうで…」
「小次郎、違います」
やきもちを焼いてくれたのは嬉しいけれど、誤解はされたくない。
小次郎の目を見詰め、はっきり想いを伝えた。
「私は、小次郎の事だけが好きです。あの方がいらっしゃると嬉しいのも、小次郎の新たな一面が見れるから嬉しいのです」
「……」
小次郎の頬がほんのりと染まる。
けれど、まだその表情は明るくならない。
「が俺を裏切るとか、そんな事は考えてない。の気持ちは信じてる。でも、ただ…嫌なんだ」
「私が他の殿方の事を気に掛ける事が、ですか?」
「それは…それも確かにあまり嬉しくはないが、そうじゃなくてどちらかと云うと…」
また少し言いにくそうに口籠り、目を逸らす。
それから一つ深呼吸をして、小次郎は私の手を取った。
「君は優しいから。他の男が、勘違いでも…に恋情を持つだけで、嫌なんだ」
ぶっきらぼうな口調、でも其処に籠るのは溢れそうな愛情で。
「…には、俺だけので居て欲しいから」
小次郎の口から、そんな言葉を聞けるとは思ってもみなかった。
嬉しくて嬉しくて、またあの殿方に感謝しかけてしまったけれど。
「…あの、小次郎」
そうしたらきっと嫌がるから、小次郎だけに感謝する事にした。
照れ屋な彼が頑張って伝えてくれた事に感謝して、そっと手を握り返す。
「今の言葉を、もう一度聞かせて下さい」
「…もう忘れた、何でも無い!」
「良いではないですか、もう一度だけ」
「だから忘れたんだ、気にするな!」
ぷいっと顔を背けても、繋いでを離しはしないところが小次郎らしい。
「忘れるような、軽い気持ちで言ったのですか?」
「……全く、君には敵わないな」
背けて居た頭が、こつんと私の肩に乗る。
顔が見えないのは少し残念だけれど、触れ合う温もりが心地好い。
「…俺は、君が好きだから。俺だけので居て欲しいんだ」
表情は見えなくとも、肩から伝わる温度で小次郎が照れて居るのはよく解った。
小次郎の性格からして、きっととても恥ずかしい筈なのに、伝えてくれた。
その想いが私を満たして、幸せを胸いっぱいに運んでくれる。
「あ、さっきと少し違いますね。本当に忘れて居たのでは…」
「なっ、俺はちゃんと覚えて居るからな!」
「ふふ、解って居ます。有難う、小次郎」
好き、なんて普段滅多に言ってくれない彼。
言葉も態度もさっぱりして居るから、時々不安になる事もある。
でも、不安より彼への想いの方が強くて。
どんなに素っ気なくされてもついて行きたいと思ってしまう。
そして、結局はそんな私の気持ちを解ってくれている彼だから。
こうして必要な時にちゃんと教えてくれるから、また嬉しくなって。
毎日毎晩、彼への大好きが止まらなくなる。
了
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