成長過程
小次郎殿が越後へ来てからと云うもの、私の生活は一変した。
いや、正確には、彼の連れであった女性…姫と出会ってから、なのかも知れない。
「お待ちして居りました、景勝様」
「…御邪魔致します」
慶次殿の屋敷へ鍛錬に行く度、笑顔で迎えてくれる。
対する私は何時も仏頂面で、きっと良く思われては居ないだろう。
小次郎殿と主従関係を感じさせず話す姿を見て居ると、とても優しく気さくな女性なのだと解るけれど…
私自身があまりにも未熟過ぎる。
「景勝、もう一本だ。行けるか?」
「勿論です」
私も父上のようになりたい。
強く、優しく、立派な武人に。
父上は女子に興味が無いと常々仰って居られるけれど、もし想う方が出来たらきっと自然に仲良くなられそうだ。
そういう所も、私には足りない。
「脇が甘いぞ!」
「あっ、」
小次郎殿にも到底敵わない。
ただ私も強い方々に並びたいだけなのに、上手く行かなくて。
「今日はまた隙が多いな。何か悩み事でもあるのか?」
「いえ…得には、ありませんが」
「まあ、良い。一旦休憩だ。俺は厠へ行って来る」
剣の稽古に雑念を挟む奴と呆れられてしまったかも知れない。
一人残された中庭で空を仰ぐと、先程受けた小次郎殿の一撃に痺れる肩が情けなかった。
「はあ…」
まだ、一週間。
姫が此処に身を寄せてから一週間しか経って居ない。
それなのに私の心には、何時も何時も彼女の事ばかりが浮かんで。
気になって仕方が無いのに、感情を表現出来ない自分がもどかしい。
「おう、なんだ、景勝殿。溜息なんか吐いて」
背後からの聞き慣れた声に振り向けば、其処には。
「慶事殿…」
今日も今日とて奇抜な衣装に身を包んだ慶次殿が快活に笑って居た。
「…良いですね、慶次殿は。悩みが無さそうで」
「そうでもないぜ?まあ、でも気分は見た目からって言うからな。御洒落に気を遣ってると明るい気持ちで居られるかもなあ」
「御洒落、ですか…」
「そうだ、兼続と一緒に俺の御洒落講座を受けないか?きっともっと前向きになれるぜ」
「いや、それは遠慮しておきます」
そんな恰好をしたら、益々姫に変な人だと思われてしまいそうだ。
即答で拒否すると、慶次殿は口を尖らせた。
「何だよ、人の親切心を」
「いえ、御気持ちは有難いですが。これ以上姫に悪印象を持たれては…」
「姫に?」
聞き返されてはっとする。
まずい、と思った時には既に遅く、慶次殿はにやりと悪戯な笑みを浮かべて居た。
「へえ、そうか…そうかそうか!」
「あ、あの、慶次殿」
「なぁるほどな〜、姫に惚れちまったか!」
「い、いや、別に、そのような、」
「よし、俺に任せとけ!」
輝く笑顔を見せられても、不安しか沸かない。
慶次殿が心根の良い方だとは解って居るけれど、何分一直線過ぎると云うか…、
やる事が極端と云うか、とにかく不安は拭えないのだ。
「慶次殿、何をするつもりですか」
「心配すんなって!俺も男だ、直球で姫にばらしたりはしねぇよ」
正直それが一番心配だったので、それは無いと聞いてほっとする。
が、まだ安心するには早い。
「なら、一体どんな手を…?」
「あれだろ?勇気が出ないんだろ」
「まあ…そうですが」
「景勝殿自身が変わんねえ事にはしょうがねぇからな!ここはやっぱ、恋敵作戦だろ!」
「ええ!?」
言いたい事が理解出来ない私に、慶次殿は妙な確信を抱いた表情で語る。
「ほらよ、男ってのは荒波に揉まれて立派になるもんだ。恋敵が周りに居れば、負けてらんねぇって思いから、自然と逞しくなれるさ」
「そんな回りくどい…」
回りくどい上にややこしい気遣いは要りません、と言いたかったが。
「景勝、待たせたな。そろそろ再開するか」
「お、じゃあ俺はもう引っ込むとするか。小次郎が相手したくないって言うしな」
「あ…、慶次殿っ」
丁度戻って来た小次郎殿に会話は途切れ、慶次殿はそのまま屋敷の奥へと去ってしまった。
「なんだ?あいつと何か話でもして居たのか?」
「いえ…ただの、世間話です」
小次郎殿にまでこの恋情を知られては恥ずかしい。
曖昧に誤魔化すしか出来ず、結局その日はそれきり慶次と話をする機会も無い儘だった。
そして、父上や諸武将に姫を紹介する事になり。
皆が顔見知りになってからと云うもの、私の不安は見事に嫌な方向へと働いてくれた。
「よう姫!俺と一緒に街へ行かねぇか?」
「はい、構いませんが…」
「あっ、慶次殿、姫を一人占めですか?私もご一緒させて下さい!」
「なんだよ、兼続も行きたいのか?」
「では三人で参りましょうか」
「待て、慶次、兼続。姫の午後の時間は謙信様が御所望だ」
「げ、宇佐美それ何とかならねぇのか?」
「ならない。さあ姫、此方へ。私がご案内致しましょう」
「ずるいぞ宇佐美!」
「宇佐美殿だけ卑怯ですよ!」
私の目の前には、皆でわいわい姫を取り合う構図。
慶次殿は私の密かな恋情を誰にも言っては居ない様で、それはまだ良かったと言えるけれど。
此処で他に不安になってしまうのが、慶次殿が何も言って居ないなら、皆が姫に群がるのは作戦では無いと云う事になる。
それはこれだけ綺麗で優しい姫なら誰しも夢中になるのは頷けるが、どうにも面白く無い。
私だけ手も足も出ず、ただ笑顔の姫を見詰めるだけ…。
「どうだ、景勝殿?」
「……え」
気付けば姫は宇佐美殿に連れ去られた後だった。
廊下に立ちつくす私と、肩を叩く慶次殿以外はもうはけてしまったらしい。
「他の奴には何か言った訳じゃねぇんだが…俺が姫を誘ったらこうも寄って来るんだぜ?」
「…本当に、姫の人柄は人気ですね」
「そうじゃねぇだろ!危機感持ったか?」
「危機感…」
「そ。あれだけ姫は人気があるんだ。景勝殿がもたもたしてたら、かっさらわれちまうかもなぁ?」
私の周りには立派な武将が沢山居る。
誰より尊敬する父、素直に感情を表現する兼続殿、口数は少なくてもちゃんと優しさを見せる宇佐美殿。
ああそれから小次郎殿だって、常に誰より姫の側に居る最強の剣客だ。
「あんまりもたもたしてると、俺も狙っちまうぞ」
「慶次殿っ…」
そう、彼もまた、豪快で懐の広さが女子に人気のある人物。
「じゃ、ま、頑張れよ〜」
悪気の無い高笑いを聞きながら、私はただその場に立ち尽くして居た。
姉の様に慕う、それだけ良いと思って居たけれど。
姫にも弟としか思われて無いと思って居たけれど。
「私は…誰にも、負けません!」
既に消えた背中に宣言し、拳をぎゅっと握り締める。
今週は彼女との時間を皆に取られてしまったって、来週の自分は違う。
一人前の男として認識して貰う為に、まず、並み行く恋敵を薙ぎ倒して奪い取ってやらなければ。
「まずは…姫、貴女に引っ越して貰いますから」
憂鬱に絡まる気持ちは振り解いて、蟻地獄に嵌ってしまう前に一歩を踏み出してみせる。
私だってもう子供じゃない、何時までも可愛い弟に甘んじて居る事は出来ないから。
「貴女に認めて貰えるまで、頑張ります…!」
決意を固めて、この未熟な恋に向き合う覚悟を決めた。
景勝が勇気を振り絞り、を自宅へ呼んでからの日々は。
「よっ、姫と上手くやってるか?」
「景勝殿、引っ越し祝いだ」
「差し入れに来たよ。さ、一緒に飲もうか」
「謙信様、つまみは人参にして下さいね!」
場所が変わっただけで、取り巻きの数が減る訳では無く。
「…とりあえず、御引き取り頂けると助かります」
騒がしい毎日は、まだ暫く続きそうだった。
了
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