泡沫 八





小さな虫は、陽光にきらきらと光って、懸命に飛んで居る。
その姿を見て、何故か無性に愛しくなった。

「私と似てる、かも知れない」

長い時を土の下で過ごし、余りに短い一日の煌めきを羽撃く蜉蝣。

厳しい修行を人里離れて積み、一時の任務に命を掛ける忍。

「似てるけど…違うのは、」

蜉蝣は自由だと云う事。
その短い時間、蜉蝣は確かに自分の羽で空を舞うのだ。

「羨ましい…精一杯輝けて……」

ささ、と優しい羽音が、疲れ切った私の瞼を下ろして行く。
監視の居ない安堵感からか、私はそのまま寝入ってしまった。

子守唄の様なその調べに浮かぶのは、幼い日の記憶。



。忍になったら、本当に帰りたい場所を見付けると良いよ」
「私は半蔵様のところに帰ります!」
「俺じゃ駄目なの。俺は忍だから。自分の主とか、故郷とか、そういう所」
「何故ですか?」
「忍は任務に失敗すれば還る場所を持たない。死体も打ち捨てられる。でも自分の中に還る場所を持ってれば、最期まで強く居られるからね」
「じゃあ半蔵様の帰るところは何処ですか?」
「俺はまだ決まってないよ。まだまだ死ぬ気は無いし」
「ならばもまだ決めません」
は女の子だから。早目に決めた方が良いの」
「私が女子だから…?」
「そう。女の子はね、俺等普通の忍よりずっと早く、儚く散るんだ。綺麗な桜が一晩で風に浚われるみたいに」



「……様、様?」

遠慮がちな声に目を開けた。
気付けば外はもう薄暗い。

「あ…すみません。すっかり眠ってしまって居た様ですね」

開戦に伴い連日気を張って居た為か、迂闊にも転た寝をして居たらしい。
姿勢が悪かったか腕が痺れてしまい、ゆっくりと起き上がる私を、雪姫は気遣う様に手伝ってくれた。

「いえ、その…様もお辛いのですね…」
「え……?」

はっと頬に手を当てると、もうどれくらい見て居なかっただろう、自分の涙が指を伝うのを感じた。

「私…いつも様に頼ってばかりですみません。今回の事は、様が一番辛い思いをされて居るのですよね…」
「いいえ、雪様。これは…違うのです」

戦は確かに辛いけれど、それは自分の撒いた種。今更悔やんでも仕方無い。
この涙は…今漸く、あの日の言葉を理解出来たから。

『女の子はずっと早く散る』
あの時の私は、女は男に叶わないからだと思って居た。
でも本当は、そんな意味では無く。

「雪様は…恋の為なら死ねますか?」
「えっ、」
「嫌な例えになりますが…三成様が追い詰められたとして、自身の命を擲てば三成様を救えるとしたら。恋の為に、死ねますか?」
「それは…、」

雪姫は驚いた様だった。
けれどその瞳に迷いは無い。きっとその答えは私の予想した通り。

「…そう、ですね。私が代わりになれるなら、それで三成様がご無事なら、私は自分の命など惜しみません」
「ふふ、やはりそうなのですね」
様…?」

また、ぱたりと涙が零れた。

「すみません、少し…一人にさせて下さい」
「は、はい…」

室を出て行く雪姫の背中は、こんなにも小さくてか弱く見えると云うのに。
命を賭けると言った時の表情は大人びて、強く気高い美しさを宿して居た。

綺麗な桜は一晩で散る。
激しく恋を咲かせ、その恋の為に命を散らすのが女の性だと云うのなら。

「私も…もう、迷わない」

小次郎様の為。
その為に捧げる命なら、惜しくなど無い。

「私には、力も経験もある。ただ散りはしないから」

私は他の九ノ一とは違う。
半蔵様から一通りの忍術は習って育った身、大切な人の未来を守るくらいの腕はある。
あの蜉蝣の様に、僅かな時でも自分の羽で空を飛んでみせよう。
嘗ての主も同僚も欺いて、この狭い鳥籠から逃亡する。
私の還るべき場所は決まった。




三日後。

「本当に…良いのか、
「はい。私は女子、万一攻め入られても大事には至りません」

小次郎様の案内で辺境の村に辿り着いた雪姫と三成様を置いて、私はまた城に戻ろうとして居た。

様…」
「私は大丈夫ですよ、雪様。折角ですから、二人切りの時間を楽しんで下さいね」

私迄もが城を開けて共に行動したのでは目立ってしまうし、二人に平和な一時を贈りたいからと理由を付けて。

「小次郎、を頼んだ」
「ああ」
「では、また」

小さく会釈をして、村を後にする。
それと同時に、監視も報告へ行った様だった。

三成様の隠れ場所はこれで解った。私が裏切るなどとは、夢にも思って居ない筈。

「…小次郎様、一つ訊いておきたい事があります」

城へ戻る道すがら、私は最後の確認をした。

「何だ」

「このまま三成様が討たれれば、雪様を手に入れられる…とは思いませんか」

「な…、」

もし彼がそれを望むなら、私は任務を全うすれば良いだけ。
三成様が死に、戦は終わる。それだけの事。

「馬鹿な事を言うな!」

けれど、それを望まないとは百も承知だった。
そんな人だったら、きっとこれほど好きになどならない。

「三成さんは雪が心から好いた相手だ。例え助けられなくとも…俺じゃ三成さんの代わりにはなれない」
「では、あのお二人が無事に添い遂げられても構わないのですね」
「俺は雪が幸せならそれで良いさ。だが…東軍の追撃は厳しいだろうからな。そんな願いが叶わないのは解ってる」
「解りました」

小次郎様の願いは私の願い。
彼一人では叶えられずとも、二人ならきっと実現出来る。

「小次郎様、少々危険な策になりますが…雪様の為、協力して下さいますか」
「策?」
「はい。以前から、考えて居た事です」

今なら監視も他の人間も居ない。
全てを話して力を合わせれば、あの二人を助けられるだろう。
小次郎様は危険な目に遭わせてしまうけれど、必ず守り抜いてみせる。
私の命などどうなろうと、必ず。