泡沫 三




結局小次郎様はそれを仕舞ったきり、取り出す事は無かった。
私はその事に触れられず、極力自然に振る舞う様にして居た。

「やあ、さん」
「…秀秋様?今日はどうなされたのですか」

そんな折、ふらりと現れた気紛れな来訪者。

「ちょっと三成殿と話したくなってね」
「秀秋様はいつもそれですね。解りました、伝えて参りましょう」
「良いよ、直接行くから」

そう言うと自分の屋敷の様に進んで行く。
私は正直この人が苦手だった。

「ところでさん」
「何でしょうか?」
「何か変わった事でもあった?」

この、妙に鋭いところが。

「いいえ?何故そのような」
「何だか、今日は何時もの落ち着きが無い様に見えるからね。小次郎達の事かな」
「確かに、客人が居られるのは気を張ります」
「ふぅん。それだけ?」
「他に何が御座いましょうか」

端から見ればきっと、今の私達は笑顔で他愛の無い話をして居る。
けれど実際には互いの腹を探る目で、上辺のやり取りをして居るだけ。

「…別に良いけどね」

やがて秀秋様は諦めたのか、興味を無くした顔で襖に手を掛けた。

「三成殿、遊びに来たよ」
「秀秋殿…!これはまた急な…」
「良いでしょ、急に話したくなったんだから」
「…まあ、構わないが」

そしてこの二人もそうだった。
三成様と云う方は本当に、良き理解者に恵まれない人だと思う。
秀秋様にしろ、私にしろ。
所詮は利用する目的で側に居るだけに過ぎないのだから。

「御茶を淹れて参りますね」

侍女に任せれば良い事を、私は進んで請け負った。

勘の良い方とは云え、素人の秀秋様が気付く程に最近の私は落ち着きが無い。それは自覚して居る。
静かに茶を淹れれば少しは冷静になれるかも知れない、と思ったのだけれど。

「騒がしいな。誰か客でも来たのか?」

盆を持って廊下を行く途中、小次郎様に見付かってしまった。
見付かったからといってどうと云う事も無い筈なのに、何故か狼狽えてしまう。

「はい、あの…三成様の御友人、秀秋様が急のお越しで」
「秀秋か…」
「そういえば小次郎様もお知り合いなのでしたね。お会いになりますか?」
「いや。俺は良い」

考え込む顔をして、小次郎様は行ってしまった。

「…………」

目の前から去ってくれた事にほっとしながらも、一抹の寂しさを感じてしまう。
本当ならばその感情から逃げる為にも、このまま何も無かった事にして三成様の元へ戻りたかった。

「あ、ちょっと良いかしら」
「はい」
「これを三成様と秀秋様に」

併しこれは放って置く訳にも行かず、茶は侍女に任せ後を追う。
追うと言っても行き先は解って居る。どちらかと言えば先回りをする形で、私は隣の室に隠れた。

「雪、今良いか」
「はい」

案の定現れた彼の声に耳を傾ける。

「お前、どっちに付くかはもう決めたのか?」
「私は…、三成様と共に西軍に付こうと思います。父上も納得して下さるでしょう」

雪姫は丁度、そう便りに書いて居たところらしかった。
ぱさりと紙の擦れる音がする。

「三成さんとの事は解ってる。ただ、国を背負う以上私情だけでは決めるなよ」

小次郎様は其処で少し距離を詰め、声を密めて続けた。

「万が一秀秋が西軍を裏切れば、確実に此方が負けるからな」
「そんな!」
「これはあくまで可能性だが…、秀秋ならやりかねない。今日の来訪も、俺には様子を探りに来た様に見える」
「ですが…最初から御柳家が東軍に付けば、より西軍は不利になってしまいます」
「だから良く見極めろと言うんだ。解ったな」
「はい……」

そう言う雪姫の声には迷いがありありと滲んで居た。
恐らく姫はこのまま西軍を選ぶだろう。そして姫が選んだ事なら、きっと小次郎様はその判断に口出しはしない。

西軍が負ければ御柳家は確実に没落する。
東軍の大将はあの光秀様。生温い処置では済まされない。
その時雪姫は、小次郎様は……

様は、秀秋様をどう思ってらっしゃるのでしょうか」

不意に自分の名が出て、嫌な想像に走って居た頭を現実に引き戻される。

「さあな。局の考えは良く解らないし、俺はあの人の意見をあまり信用する気は無いね」
様は優しい御方ですよ」
「俺にはそうは見えないけどな」
「小次郎は護衛ですから、私の為に気を配ってくれて居るのは解ります。でも、疑ってばかりでは疲れるでしょう」
「…護衛だから、と云うのを抜いても、俺は局を好きにはなれない」

小次郎様の声は実に複雑だった。
雪姫は気付かないだろう、彼が「護衛」と云う立場を気にして居るとは。
彼は姫にそうとしか見られて居ない事を苦しく思って居る。そしてその心情を知る私を、知りながらどちら付かずに動く私を嫌って居る。

「今はそうでも、この先変わるかも知れないでしょう。自分の気持ちには、自分が一番疎いものです」

自分が一番疎いもの。
その言葉に何か引っ掛かりを感じたけれど、何時までもこうして居る訳にはいかなかった。

「では私も秀秋様にご挨拶して来ます。直接お会いすれば、何か解るかも知れませんから」
「…ああ、無理はするなよ」
「はい」

雪姫が三成様の室に行く前に戻らなければ、と慌てて移動する。
引っ掛かりは一旦押し遣って、優しい奥方の自分を作らなければ。


そう思っても、何かが胸に支えた感覚は中々消えてくれなかった。