いざ、出勤!家興¥

〜act4:常務様は超腹黒!〜



そして、翌朝。
小次郎より一足先に会社へ向かった私は、やはり少し緊張してしまった。

私と小次郎は、織田商事に居る間は小次郎の知人の御宅の御世話になって居る。しかも部屋数の都合で同室だ。
けれど毎日毎日同時出勤では怪しまれそうなので、少し時間差を付ける事にしたのだ。

「お、おはようございます…」
「おはようございます」

受付のお姉さんとの挨拶も、小次郎が側に居ないだけで何だか落ち着かない。

(で、でも、怯えている場合では無いわ)

会長にも認められたのだから、私は今日から此処の社員なのだ。
一応、ではあるけれど、自分の勤め先になったのだから、堂々と出勤しなければ。

「ええと…今日は、秀秋さんの御手伝い、ね」

手帳をめくり、一日のスケジュールを確認する。
そこで、はたと立ち止まった。

「秀秋さんの居場所…聞いていないわ…」

三成さんなら昨日行った社長室で良いのだけれど、秀秋さんは普段何処に居るのか聞いて居ない。
恐らく何処かに常務室があるのだろうけれど…
昨夜信長さんに色々な所を案内して貰った中には、それらしい所は無かったような気がする。

(どうしましょう…)

立ちつくして居ると。

「あれ、華さん。随分早いんだね。おはよう」
「秀秋さん…!おはようございます」

タイミング良く秀秋さんが出勤してきた。
助かった、とほっと息を吐く。

「あ、もしかして僕の居場所が解らなかった?」
「はい、昨日お伺いするのを忘れて居て…」
「ごめんね、僕もうっかりしてたよ。今から案内するね」

まずは中央のエスカレーターに乗り、其処から近いエレベーターで更に上へ移動する。

「僕はあんまり、一ヶ所でじっとしてないんだ。まあ、大体は此処に居るよ」
「え…、資料室、ですか…?」
「うん。さ、入って」

常務が何時も居る場所が資料室なんて…変わった会社だ。
と云うか、それで会社として大丈夫なのだろうか。
見た所此処は内線も通って居ないし、鍵も特殊な感じだったし…
何かあった時に連絡がつかないように見える。
それに、中で何かあっても誰も気付かないような…

「さて。やっと二人切りになれたね」

秀秋さんの顔から、ふっと笑みが消える。
口調も何処か刺々しい、冷たい響きを含んで居る。

「君の本当の目的を聞かせて貰おうか?」
「な、何を…」
「僕を誤魔化せるとでも思ったの?僕は人に裏切られる事なら慣れてるんだからね。何でもお見通しだよ」

鋭く冷たい瞳。
さっき自分で思った事、この中では何かあっても誰も気付かない。
内線も無いし外と連絡の取りようがない。
唯一の連絡手段は携帯で小次郎に助けを求める事くらいだけれど…
今携帯を取り出しても、きっと繋がる前に秀秋さんに取り上げられてしまうだろう。
暫く悩んだ後、私は素直に事情を説明する事にした。
下手な言い訳をしたら余計に疑われてしまいそうだし、私はそんなに嘘が得意な方でも無いからだ。

「…すみません、本当は……」

意を決して打ち明けると、秀秋さんはふうん、と詰まらなさそうに頷いた。

「そんな事だったんだ。もっと大きな事件とかの方が面白かったのに」
「そんな事って…私にとっては、御柳工業の一大事なのですよ」
「世間を何も知らない社長令嬢には大変かも知れないけど、そうやって両親に期待されてわざわざ潜入までするんだから良いんじゃないの。僕なんて…」

秀秋さんはふっと目を細め、過去を思い出すように遠くを見詰めた。

「僕が高校受験の時、兄がインフルエンザになった。うつったらいけないからって僕は親戚の家に預けられてさ」

下らない話だけど、と笑うその目は、何だか寂しそうに見える。

「受験期でナイーブな僕を預けるより、兄をどっかで療養させれば良かったのに。それで、親戚の叔母さんには優しくして貰ったけど…すぐ、其処には子供が生まれてしまった」
「それは…」
「まあ、流れは解るよね」

生まれたばかりの子供の面倒を見ながら親戚の子供の世話なんて、考える以上に大変な事だろう。
自分だったら、と考えても両立出来る自信は無い。

「子供に手が掛かって大変って事でまた僕は盥回しにされて…腹が立ったから、そのまま家を出て今の所に養子に入ったんだ」

今頃高給取りになった僕を惜しいと思って悔しがってれば良い気味、と秀秋さんは悲しく笑った。

「秀秋さん…」
「君には解らないでしょ。落ち着いた環境で受験が出来て、おやつを兄弟と取り合ったりとかもしたことなくて、おさがりばっかりで暮らした事もなくて」
「確かに私は一人っ子ですが、でも…みんな、同じだと思います」
「皆同じ?君に何が解るって言うの」

きつい眼差しで見詰められ、後ずさりそうになった足を何とか堪える。

「秀秋さん、だって、思いませんか?もし秀秋さんがインフルエンザで、御兄さんが受験だったら。それで自分が預けられたら、酷いと思いませんか?」
「それは……」

病気の時は気が弱くなるもの。
そんな時に親元を離れるなんて、考えただけでも辛い。

「受験は確かに大事ですけど、御両親は御兄さんが病気だから看病してあげるべきだと判断されたのだと思います」

それはどちらに多く愛情を注いでいるとかそんな事ではなくて、公正な判断だと思う。
私だって、もし子供が出来てそういう状況になったらそうすると思うから。
受験でナイーブな気持ちを抱えている子供の事も心配だけれど、でもだからこそ、落ち着いて勉強できる環境を作る為には預けるしかない。

「御両親は、秀秋さんの事も愛して居たから御親戚に預けられたのではないでしょうか。本心からどうでも良かったら、病気がうつる心配なんてしません」
「じゃ、じゃあ…、叔母さんの事はなんて説明するのさ。自分の子供の方が可愛いから、僕をまた余所へ預けたんでしょ?」
「それも、違うと思います」

秀秋さんは、叔母さんは優しくしてくれたと言った。
きっとその人は、本当に優しい人だったのだろう。子供が大好きで、分け隔てなく愛する人だったのだろうと思う。
けれど、初子が生まれたばかりの大変な苦労はどうしようもない。
どうしても手が掛かるし、それで秀秋さんの事をちゃんと構ってあげられなかったら可哀想で悪いから、だからまた余所へ預けたのではないだろうか。

「慣れた人ならともかく、初めての出産の後では同時に二人の子供の面倒を見るのはとても難しい事でしょう。叔母さんも、きっと秀秋さんの事を想って手放されたのですよ」

今の家の養子になった、と秀秋さんは簡単に言ったけれど。
誰かの子供を養子に取るのは、きっと大変な決断が要ったに違いない。
それでも養子縁組をして今に至るのだから、その人もきっと良い人。
そして、そんな優しい人に秀秋さんを預けようと決めた叔母さんも、考えて考えてその人を選んだのだと思う。

「秀秋さん、きっと…みんな、秀秋さんの事を大切に想って居たのだと思います。世の中には実の子供を虐待したり、それが昂じて殺してしまったりする人も居るのですから…」

預けられ、各家を転々としても、とても大事にされた秀秋さんは、やはり愛されて居たのだろう。
人が人を傷付ける事など簡単な世の中で、出来る限りの事をして愛情で護って居たのだと思う。
多感な年頃だった秀秋さんがそれを赦せ無いと思うのも無理は無いと解るけれど…御両親や叔母さん、養父母さんの愛情や優しさを、きちんと解って欲しい。
幸せに育った人間が何を言う、と思うかも知れない。でも、私は愛されたからこそ解るのだ。
彼が受けた愛情、今此の会社で受けている信頼、それがどういうものなのか。
愛を知らない人は愛されても中々気付く事が出来ない。一度不足したと感じた感情は、与えられても気付かずに見落としてしまう。
私のような人間が言っても気分を逆撫でるだけかも知れないけれど…私が嫌われても構わないから、伝えておきたかった。
秀秋さんはちゃんと愛されていると云う事を、解って欲しかった。
例え本当に愛されていなかったとして、それで彼だけが苦しむなんて不公平なこと。
何時までも過去に束縛されず、今ある彼の素晴らしい才能と努力によって掴んだ未来を、ちゃんと見詰めて欲しい。

「秀秋さんには、沢山の育ての親が居ると云う事ではありませんか?御両親、叔母さん、今の養父母さん。それは、素晴らしい事だと思います」
「華さん……」

秀秋さんは凄く驚いた顔をして、それから少し笑って。

「…全く、この僕に御説教をした人間は君が初めてだよ。良い度胸だね。そんなに僕が愛されていると主張するなら…」
「きゃっ?」

突然、私の手をぐいっと引き寄せた。
ふらついた身体は重力の儘に秀秋さんの腕の中へ。

「君が、それを証明してみせてよ」

真っ直ぐ見詰められる瞳。
普段は明るく見えるその丸い瞳の奥に、少しの寂しさが見えた気がした。

「秀秋さん…、」

この人は、ずっと寂しかったのだろうか。
誰にも気付いて貰えない想いを抱えて、誰かに伝えたくて、でも伝える事も怖くて。
そんな孤独な彼が本当の愛は何か知りたいと云うなら、私はその想いに応えよう。

「解りました!」
「…へ?」
「すぐに証明してみせます!だって、秀秋さんは皆さんにとても愛されていますから」

会社の中でも沢山の人に慕われているに違いない。
会長も社長も、みんな彼の事を大好きな筈だ。
先日の様子を見て居ても、うわべでは無く本当に仲が良さそうだったから。
本物の愛情がどんなものか、彼が心を開いてくれればきっと解って貰える筈。

「…あのね、そういう意味じゃ…」
「少し待って居て下さいね。この会社に御世話になって居る間に、必ず証拠を見せられるようにしますから!」
「はあ…まあ良いか。解ったよ、うん」

何だか少しがっかりしているように見えるけれど…それは多分照れ隠しだろう。
愛される事に慣れて居ないから、正面から受け止める事が照れ臭いのかも知れない。

「私頑張りますね!」
「うん、まあ…一応、ありがと」

肩に回って居た腕が外されて、頭をくしゃくしゃと撫でられる。
その合間に「鈍いんだから…」とか何とか呟きが聞こえた気がするけれど、それは気にしないでおこう。

「じゃ、そろそろ仕事始めようか。役に立つ仕事振りだったら秘密は守ってあげるから、きびきび働いてね」
「はい!」

いよいよ御仕事の始まり。
いきなり難しい事だったらどうしようと思っていたけれど、幸い今日は書類整理のような事ばかりらしい。
しかも資料室と云う場所だけあって、企業の内部を知るには良い情報が沢山ある。

「華さん、これ処分でこれと差し替え。それからこれあっちに移動させて、ついでに其処の棚にあるファイル取って」
「は、はい」

一生懸命秀秋さんの指示に従って動くうち時間はあっと云う間に過ぎて、ごちゃごちゃしていた資料室は段々すっきりとした姿に変わって行った。
御昼休憩を挟んで午後からの仕事は随分楽になり、予定して居た私の就業時間にはまるで別の部屋のような小奇麗な空間を作る事が出来た。

「うーん、綺麗になったね。全く、三成社長ったら何でもかんでも溜め込むからすぐ溢れ返っちゃうんだよ」
「社長としては、どんな些細な情報でも取って置きたいからではないですか?」
「それもあるだろうけど、三成社長は大の活字好きなんだよ。活字なら何だって保存しときたがるから、良いものも多いけど要らないものも凄い数」

そういえば、社長室で見た三成さんの机は物凄く沢山の書類が詰まれて居た気がする。
あれは社長だから色々御仕事があるのだろうな、と思ったけれど、もしかすると大半は趣味だったのかも知れない。

「じゃあお疲れ様。慣れない仕事で疲れたでしょ?よくやってくれたから、秘密は秘密の儘にしといてあげるよ」
「有難うございます…!」
「お嬢様がここまで文句も言わずに頑張ると思ってなかったけど、飲み込みも早いし頑張ってくれるし助かったよ。今秘密をばらして辞められたら困るし」

それに、と秀秋さんは小指を私の前に突き出す。

「愛情の証明、してくれるんでしょ?」
「…はいっ!」

その指に自分の小指を絡めて、約束の指きり。
此処で働かせて貰って御世話になる分、ちゃんと恩返しをしておきたい。
それで秀秋さんがこれから幸せを沢山感じられるようになるなら、私にとっても本当に嬉しい事だから。

「僕はまだ仕事があるから残るけど、出口まで送るよ」
「すみません、わざわざ」
「気にしないで、息抜き変わりだし」

話しながら荷物を纏めていると、あ、と思い出したように秀秋さんが手を打った。

「僕の本当の居場所はちゃんと常務室があるから。教えとくから次はそっちに来てね」
「えっ、資料室じゃないんですか?」
「嘘に決まってるでしょ。今日はたまたま此処で仕事があったってだけ」
「騙したんですね?」
「騙される方が悪いの。ほら、行くよ。鍵掛けるから」
「あ、はいっ」

小次郎の言った通り確かに癖のある人だけれど、其処に悪気がある訳じゃ無い。
何故だろう、からかわれても嫌な気持ちにはならない。
第一印象でとても優しそうな人だと思った、きっと本当はその通りの性格なのだろう。
家庭の事情で少し素直な感情表現が苦手になってしまっただけで、心根はとても優しい人だ。
乗務室へ案内される途中迷子になりそうになった私を、辛口ながらもちゃんと導いて教えてくれるあたりも、やはり優しいからだろう。

「じゃあまた明日、頑張ってね」
「はい。今日はありがとうございました」

見送って貰って外に出る。
と、ばったり小次郎と出くわした。

「華!」
「あ、小次郎」
「あ、じゃない!今日は何処に居たんだ、連絡がつかないから心配したぞ」
「すみません、御仕事中は携帯の電源を落としていたので…」

帰り道を歩きながら今日の経緯について話すと、小次郎は驚いた顔をした。

「あの秀秋が他人を信用するなんて珍しいな。君は気に入られたと思ってまず間違いないぞ」
「そうでしょうか。だったら嬉しい事ですね」
「この調子で明日も上手く行くと良いな。明日は…三成さんと仕事か?」
「はい、頑張ります。…約束の為にも」

三成さん。少し怖い印象のある人だけれど、やれる事をやるしかない。
秀秋さんが愛されて居るのだと云う証明をする為にも、近しい人である彼の前でミスなどしていられない。

「約束?」
「ふふ、何でもありません」

小次郎にも秘密にするなんて申し訳ない気もするけれど、これは私と秀秋さんだけの秘密だ。
秀秋さんが私の秘密を守ってくれると約束してくれたのだから、私もこの小さな秘密を内緒にしておきたい。

「なんだ、一体」
「何でもないですよ?さあ、早く帰りましょう。大家さんが心配してしまいます」
「あいつは大家って程のものじゃ…まあ良い、腹も減ったしさっさと帰るか」

沢山働いて、沢山疲れた私の御仕事初日。
でも、その分秀秋さんの事も沢山解った気がする。
企業は本当に人と人の繋がりだと実感出来た。
新しい出会いが新たな知識と見解を生んでくれる。
何処か温かい気持ちを胸に、私の初めての一日は無事に終わった。


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